08月15日付 社説!!①
投稿者: orewatetsu 投稿日時: 2003/08/15 18:10 投稿番号: [2141 / 52541]
長いのでここでは、コピぺだけ。
■58回目の8・15――新たな戦争の時代に
世界も日本も騒然としたなかで、58回目の終戦の日がめぐってきた。
国際テロをはじめとする脅威に対して、比類なき軍事力で仁王立ちする米国。国連の権威も揺らいでいる。北朝鮮は核開発を切り札に、危うい生き残り策にかける。
小泉首相は強い米国についていくことが一番とばかり、イラクへの自衛隊派遣を決めた。そして、国内では「北朝鮮の脅威に備えよ」「専守防衛も見直しを」といった主張がひときわ声高である。
1945年の8月15日を起点に、みずからの平和を何より大事に思い、そのために軍事的な手足を縛ってきた日本は、本当に変わり始めたのではないか。そんな外国の視線も目立ってきた。
●世界が変わった
あの同時多発テロから間もなく2年になる。米国は今も臨戦態勢だ。町のあちこちに星条旗が翻り、「団結しよう」と書いたステッカーを張った車が走る。
「9月11日は米国民の生活と米国の戦略を変えた。テロ集団やそれをかくまう国家との戦いに、すべての力を注ぐ」。ライス大統領補佐官は先週、そう演説した。
米国を変えたのは国際テロや核をはじめとする大量破壊兵器の拡散への恐怖だけではない。冷戦後10年余りがたつうちに、米国は軍事でも経済でも圧倒的な力を独り占めしてしまった。その優位が単独行動主義を支える。世界の構図が、わずか数年前とはがらりと変わってしまったのだ。
「悪の枢軸」とされたイラクのフセイン政権は、ブッシュ政権のもくろみ通りにつぶされた。国連も欧州同盟国も、先制攻撃戦争を止められなかった。
組みたいやつとだけ組む。同盟国であっても邪魔はさせない。そんな米国はイランや北朝鮮、また将来敵になるかも知れない国家や集団をにらみ据えている。
新しい戦争の時代。超大国が平和や民主化を掲げてミサイルを撃ち込む。そんな矛盾に満ちた時代である。
●戦後日本への試練
日本にとって、そんな時代の到来はかつては想像だにできなかったことだ。
「日本やドイツが自由で平和な社会になるだろうか。多くの人がそう疑った。彼らは間違っていた」。ブッシュ大統領はイラク占領を正当化するために、対日占領政策の成功をしばしば語る。
米国にとって、今の北朝鮮と同じように何をしでかすか分からぬ異様な全体主義国家だった日本は、敗戦によって、確かに平和国家へと生まれ変わった。
冷戦時代、日米安保体制の下で自衛隊の戦力は年々向上したが、日本の防衛政策の軸はあくまで、ソ連と対峙(たいじ)する米軍を国内で支援することにあった。朝鮮戦争やベトナム戦争では、日本は米軍の出撃拠点となりはしたが、日本自身の安全に対する生々しい脅威感は乏しかった。
しかし、今、北朝鮮は日本を射程に収めるミサイルを配備し、核兵器の開発を進める。まさに現実的な脅威である。
「古い欧州」との間できしみを深めた米国は、日本による貢献を重視し、イラクへの陸上自衛隊の派遣を言うまでになった。これもこれまでなかったことだ。
12年前の湾岸戦争でも、日本は人的な貢献のなさを米国から批判されたが、当時問われたのは国連の枠のなかでの協力で、米国の戦争への直接の協力ではなかった。
世界が変わり、日本の安全をめぐる新しい事態が起きたのだから、政策がこれまでのままでいいかどうかを考え、論じ合うのは大切なことだ。けれども、目先の脅威や米国の要請にとらわれて大局を見失えば、右往左往が続くばかりだろう。
こんなとき、日本はどこによって立ったらいいのか。大きな足がかりは、やはり私たちの体験とその記憶にある。
北朝鮮の核開発を放っておくことはできない。だが、それが戦争という手段によって解決されるなら、どれほどの惨禍が生まれるかを、日本人は半世紀余り前の体験から想像することができる。
戦争の惨禍は、誰よりも北朝鮮に対して伝えなければならない。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
■58回目の8・15――新たな戦争の時代に
世界も日本も騒然としたなかで、58回目の終戦の日がめぐってきた。
国際テロをはじめとする脅威に対して、比類なき軍事力で仁王立ちする米国。国連の権威も揺らいでいる。北朝鮮は核開発を切り札に、危うい生き残り策にかける。
小泉首相は強い米国についていくことが一番とばかり、イラクへの自衛隊派遣を決めた。そして、国内では「北朝鮮の脅威に備えよ」「専守防衛も見直しを」といった主張がひときわ声高である。
1945年の8月15日を起点に、みずからの平和を何より大事に思い、そのために軍事的な手足を縛ってきた日本は、本当に変わり始めたのではないか。そんな外国の視線も目立ってきた。
●世界が変わった
あの同時多発テロから間もなく2年になる。米国は今も臨戦態勢だ。町のあちこちに星条旗が翻り、「団結しよう」と書いたステッカーを張った車が走る。
「9月11日は米国民の生活と米国の戦略を変えた。テロ集団やそれをかくまう国家との戦いに、すべての力を注ぐ」。ライス大統領補佐官は先週、そう演説した。
米国を変えたのは国際テロや核をはじめとする大量破壊兵器の拡散への恐怖だけではない。冷戦後10年余りがたつうちに、米国は軍事でも経済でも圧倒的な力を独り占めしてしまった。その優位が単独行動主義を支える。世界の構図が、わずか数年前とはがらりと変わってしまったのだ。
「悪の枢軸」とされたイラクのフセイン政権は、ブッシュ政権のもくろみ通りにつぶされた。国連も欧州同盟国も、先制攻撃戦争を止められなかった。
組みたいやつとだけ組む。同盟国であっても邪魔はさせない。そんな米国はイランや北朝鮮、また将来敵になるかも知れない国家や集団をにらみ据えている。
新しい戦争の時代。超大国が平和や民主化を掲げてミサイルを撃ち込む。そんな矛盾に満ちた時代である。
●戦後日本への試練
日本にとって、そんな時代の到来はかつては想像だにできなかったことだ。
「日本やドイツが自由で平和な社会になるだろうか。多くの人がそう疑った。彼らは間違っていた」。ブッシュ大統領はイラク占領を正当化するために、対日占領政策の成功をしばしば語る。
米国にとって、今の北朝鮮と同じように何をしでかすか分からぬ異様な全体主義国家だった日本は、敗戦によって、確かに平和国家へと生まれ変わった。
冷戦時代、日米安保体制の下で自衛隊の戦力は年々向上したが、日本の防衛政策の軸はあくまで、ソ連と対峙(たいじ)する米軍を国内で支援することにあった。朝鮮戦争やベトナム戦争では、日本は米軍の出撃拠点となりはしたが、日本自身の安全に対する生々しい脅威感は乏しかった。
しかし、今、北朝鮮は日本を射程に収めるミサイルを配備し、核兵器の開発を進める。まさに現実的な脅威である。
「古い欧州」との間できしみを深めた米国は、日本による貢献を重視し、イラクへの陸上自衛隊の派遣を言うまでになった。これもこれまでなかったことだ。
12年前の湾岸戦争でも、日本は人的な貢献のなさを米国から批判されたが、当時問われたのは国連の枠のなかでの協力で、米国の戦争への直接の協力ではなかった。
世界が変わり、日本の安全をめぐる新しい事態が起きたのだから、政策がこれまでのままでいいかどうかを考え、論じ合うのは大切なことだ。けれども、目先の脅威や米国の要請にとらわれて大局を見失えば、右往左往が続くばかりだろう。
こんなとき、日本はどこによって立ったらいいのか。大きな足がかりは、やはり私たちの体験とその記憶にある。
北朝鮮の核開発を放っておくことはできない。だが、それが戦争という手段によって解決されるなら、どれほどの惨禍が生まれるかを、日本人は半世紀余り前の体験から想像することができる。
戦争の惨禍は、誰よりも北朝鮮に対して伝えなければならない。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
これは メッセージ 1 (jjjjjjjjjjjjjjkohe さん)への返信です.