こんなに努力する、朝日の記者
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/08/15 01:57 投稿番号: [20608 / 52541]
京幾道・広州市・退村面・ウォンダン「ナヌムの家」。8月の光復節(韓国の独立記念日)になると、ここに暮らす従軍慰安婦のハルモニたちは辛い過去をまた思い起こす。
60坪あまりの宿舎と歴史館、事務所の3つの建物に以前は12人が住んでいたが、恨みを解けないまま2人が既にこの世を去った。
ここに、2人の外国人男性がいる。矢嶋宰さん(34/日本)とジョシュア・ピルツァーさん(35/米国)だ。
ハルモニたちは、彼らを「私たちの孫」と呼ぶ。矢嶋さんは、後ろに髪を結んだ髪型から、コンピューターゲームの主人公の“マリオ”というあだ名を付けられた。矢嶋さんは韓国人の孫になって2年7か月。ピルツァーさんは3年になる。
矢嶋さんは、「早稲田大学インド歴史学科に在学中、初めて祖国が”加害者”であるという事実を知った」と話した。「高校3年の時、英語の先生から初めて“慰安婦”という言葉を聞きました。すぐに忘れてしまいましたよ。大学で、韓国人留学生に会ったとき、その言葉を思い出したんです」
矢嶋さんは当時、とても驚いたという。「その時まで、地球上に日本が嫌いな国があるなんて、夢にも思いませんでした。自分の国がそんな蛮行を行っていたなんて…」矢嶋さんの衝撃は、それだけでは済まなかった。
「太平洋戦争に参戦していた私の母方の祖父のアルバムから、見たことのない女の人の写真を見つけたんです。祖父に誰かと尋ねると、『中国人慰安婦』だと言って、口をつぐんでしまいました。数多くの日本人たちがそうだったように、私の祖父も慰安所に行ったかと思うと、とても恥ずかしかったです」
大学卒業後、矢嶋さんは朝日新聞勤務を経て、フリーランスのカメラマンとして活動していた2002年9月と10月、取材のために韓国を訪れた。ナヌムの家との縁はこの時始まった。「初めは、慰安婦問題を写真に残したかったんです。だけど、ここの歴史館で、日本語と韓国語が堪能な職員が必要だというので、2003年1月からそのままここに残ることになったんです」
ここに来たばかりの頃、このちょんまげ頭の若者は、ハルモニたちから“罪人”扱いされた。しかし、ハルモニたちの笑う姿をきれいに撮り、根気よく一枚ずつ渡していくうちに、凍っていた心が解け始めた。
今年5月には、日本の雑誌「デイズ・ジャパン」主催の国際フォトジャーナリズム写真公募展で獲得した賞金300万ウォンをナヌムの家に寄付した。矢嶋さんのアングルが捕えた対象は、中国で撮影した韓国人被害者のハルモニたちだった。
過去の歴史を罵られながらも、矢嶋さんが達者な韓国語で話している時、日本人を世界で一番憎んでいるというチドルさん(82)が横から割り込んだ。「日本人は嫌い。悪い人。矢嶋はいい人…」
矢嶋さんとピルツァーさんのここでの仕事は、女性たちの面倒を見ることだけではない。
16日から2人はこの歴史館で展示会を開く。女性たちの生活を収めた矢嶋さんの写真と、カン・イルチュル(77)さんが歌った「番地のない旅籠屋」、イ・ヨンス(58)さんの日本軍歌を収録したピルツァーさんの録音が展示される。展示会は昨年に続いて2回目となる。
展示会だけでなく、矢嶋さんは他のイベントも企画している。韓日両国の若者が集まって、両国の歴史、人権を学ぶ「ピースプログラム」だ。 03年から矢嶋さんが企画し、進めているこのプログラムには、50人余りの大学生が参加し、独島、日本の歴史教科書、神社参拝などのテーマをめぐって討論が行なわれる。
昨年には、プログラムに参加した日本の学生が女性たちを招いて東京、広島、大阪などで「元従軍慰安婦女性の証言集会」を開いたこともある。
できないことのなさそうな「鉄人」のように見える矢嶋さんにも悩みの種がある。警察官出身の父親がいまだに自分の仕事に反対していることだ。「昨年、父がここを訪れました。私が非常に忙しくて日本に帰れなかったのです。父は依然として日本の肩を持っていました。しかし、『やるからには、ちゃんとやりなさい』という最後の一言で勇気付けられました」
光復節(独立記念日)を4日控えた12日、矢嶋さんは「今年が光復60周年であるが、このままの韓日関係なら、60周年だろうが、100周年だろうが数字には何の意味がない」とし、「おばあさんたちが亡くなる前に日本政府の謝罪、法的賠償を実現させるためには、一日一日が重要なのです」と述べた。 by朝鮮日報
60坪あまりの宿舎と歴史館、事務所の3つの建物に以前は12人が住んでいたが、恨みを解けないまま2人が既にこの世を去った。
ここに、2人の外国人男性がいる。矢嶋宰さん(34/日本)とジョシュア・ピルツァーさん(35/米国)だ。
ハルモニたちは、彼らを「私たちの孫」と呼ぶ。矢嶋さんは、後ろに髪を結んだ髪型から、コンピューターゲームの主人公の“マリオ”というあだ名を付けられた。矢嶋さんは韓国人の孫になって2年7か月。ピルツァーさんは3年になる。
矢嶋さんは、「早稲田大学インド歴史学科に在学中、初めて祖国が”加害者”であるという事実を知った」と話した。「高校3年の時、英語の先生から初めて“慰安婦”という言葉を聞きました。すぐに忘れてしまいましたよ。大学で、韓国人留学生に会ったとき、その言葉を思い出したんです」
矢嶋さんは当時、とても驚いたという。「その時まで、地球上に日本が嫌いな国があるなんて、夢にも思いませんでした。自分の国がそんな蛮行を行っていたなんて…」矢嶋さんの衝撃は、それだけでは済まなかった。
「太平洋戦争に参戦していた私の母方の祖父のアルバムから、見たことのない女の人の写真を見つけたんです。祖父に誰かと尋ねると、『中国人慰安婦』だと言って、口をつぐんでしまいました。数多くの日本人たちがそうだったように、私の祖父も慰安所に行ったかと思うと、とても恥ずかしかったです」
大学卒業後、矢嶋さんは朝日新聞勤務を経て、フリーランスのカメラマンとして活動していた2002年9月と10月、取材のために韓国を訪れた。ナヌムの家との縁はこの時始まった。「初めは、慰安婦問題を写真に残したかったんです。だけど、ここの歴史館で、日本語と韓国語が堪能な職員が必要だというので、2003年1月からそのままここに残ることになったんです」
ここに来たばかりの頃、このちょんまげ頭の若者は、ハルモニたちから“罪人”扱いされた。しかし、ハルモニたちの笑う姿をきれいに撮り、根気よく一枚ずつ渡していくうちに、凍っていた心が解け始めた。
今年5月には、日本の雑誌「デイズ・ジャパン」主催の国際フォトジャーナリズム写真公募展で獲得した賞金300万ウォンをナヌムの家に寄付した。矢嶋さんのアングルが捕えた対象は、中国で撮影した韓国人被害者のハルモニたちだった。
過去の歴史を罵られながらも、矢嶋さんが達者な韓国語で話している時、日本人を世界で一番憎んでいるというチドルさん(82)が横から割り込んだ。「日本人は嫌い。悪い人。矢嶋はいい人…」
矢嶋さんとピルツァーさんのここでの仕事は、女性たちの面倒を見ることだけではない。
16日から2人はこの歴史館で展示会を開く。女性たちの生活を収めた矢嶋さんの写真と、カン・イルチュル(77)さんが歌った「番地のない旅籠屋」、イ・ヨンス(58)さんの日本軍歌を収録したピルツァーさんの録音が展示される。展示会は昨年に続いて2回目となる。
展示会だけでなく、矢嶋さんは他のイベントも企画している。韓日両国の若者が集まって、両国の歴史、人権を学ぶ「ピースプログラム」だ。 03年から矢嶋さんが企画し、進めているこのプログラムには、50人余りの大学生が参加し、独島、日本の歴史教科書、神社参拝などのテーマをめぐって討論が行なわれる。
昨年には、プログラムに参加した日本の学生が女性たちを招いて東京、広島、大阪などで「元従軍慰安婦女性の証言集会」を開いたこともある。
できないことのなさそうな「鉄人」のように見える矢嶋さんにも悩みの種がある。警察官出身の父親がいまだに自分の仕事に反対していることだ。「昨年、父がここを訪れました。私が非常に忙しくて日本に帰れなかったのです。父は依然として日本の肩を持っていました。しかし、『やるからには、ちゃんとやりなさい』という最後の一言で勇気付けられました」
光復節(独立記念日)を4日控えた12日、矢嶋さんは「今年が光復60周年であるが、このままの韓日関係なら、60周年だろうが、100周年だろうが数字には何の意味がない」とし、「おばあさんたちが亡くなる前に日本政府の謝罪、法的賠償を実現させるためには、一日一日が重要なのです」と述べた。 by朝鮮日報
これは メッセージ 1 (jjjjjjjjjjjjjjkohe さん)への返信です.