『アマデウス』
投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2009/01/25 23:53 投稿番号: [511 / 768]
「モーツァルトは私のあこがれだった」
と語ったサリエリがモーツァルトを殺害することになるのだが、彼はまたモーツァルトのファンであり、モーツァルトの才能を一番理解していたのがサリエリであった。
これで思い出すのは、ジョン・レノンを殺害したチャップマンも彼のファンだったということである。(CIAによる暗殺説も有力ではある)
愛と憎しみは常に隣りあわせであり、可愛さあまって憎さ百倍とはよく聞く話だ。
あこがれの人を殺したいという感情は常人には理解しがたいものであるが、人間というものは知らず知らず「愛すること」と「憎むこと」二つの感情を同一の人物に対して持ってしまうことがあるということなのだろう。
それはフロイトの発見した潜在意識の中に閉じ込められた自分でも知ることのない感情であり、韓国のことを嫌っている人も自分で気づかない深層心理の奥底に好きという感情が隠されている可能性はある。
愛するがゆえに憎い、または憎しみは愛情の裏返しということか。
さて映画のほうだが、、サリエリの自殺未遂の衝撃的な幕開けの演出としての交響曲第25番第一楽章はこれから始まるモーツァルトの波乱の運命を暗示するすばらしい選曲だったといえるだろう。
モーツァルトとサリエリを、天才と凡庸、善と悪、光と影の対比で描くビジュアルは美しく、「愛するものを殺したいほど憎むのはなぜか」ということをテーマにストーリー展開は見ているものに飽きさせることがなくテンポよく進む。
映画全編をとおしてモーツァルトの音楽が素晴しく、その天才の偉大さはユーモアと悲劇を交えながらもうまく表現できていたと思う。
ただ、史実を完全に改変してしまったことには疑問を感じる。
評価
4
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