Re: 馬鹿馬鹿しい
投稿者: noga13391jp 投稿日時: 2009/04/10 07:07 投稿番号: [73 / 81]
devil_snrさん、今日は。
> 理想が正しい(?)なら手段を選ばずで金権選挙も肯定。まるで共産主義だなw
> 金まみれの政権交代にいったいどんな意義がある?
政治哲学がない。理想がない。
ならば、選挙は地縁・血縁・金づるにものを言わせるしかない。
「今ある姿」は一つであると考えられています。人により違うようであれば、それは事実誤認が含まれていると考えて、事実関係調べが行われます。だがしかし、「あるべき姿」は人により異なると考えられています。だから、議論が成り立ちます。
「今ある姿」の世界の指導者となる人は、「あるべき姿」の内容を提示して、広くその正否を問う必要があります。
「あるべき姿」の内容を未来構文で表現し、「今ある姿」を現在構文の内容として考え、両者を比較した上で批判する。さらに、その現実対応の方策を割り出すことの出来る人は、物事を理解しているといえます。
物事を理解している人の答えは、リーズナブル (reasonable) になります。各人がリーズン (理性・理由・適当) のある答えを持ち寄って比較すれば、建設的な議論が可能です。
こうした活動を盛んにするには、個人を認める必要があります。個人主義が大切です。
日本語脳には、「あるべき姿」の内容を保持する余裕がないので、日本人に批判は出来ず、ただただ現状を忍耐で乗り切る現実肯定主義になります。
リーズナブルな答えには、相手を説得する力があります。これが、アングロ・サクソン流の知的な生きる力となります。
日本人には、「今ある姿」があって「あるべき姿」がない。感性ばかりで、理性がない。感想ばかりで、理想を語らない。「理屈っぽい」といって議論をする人を避ける。
だから、日本人の発言は歌詠みのようなものになります。語り部、浪曲師も似たようなものです。
「あるべき姿」と「今ある姿」の両者の比較検討ができなければ、ただ物事を知っているというだけのことになります。このような人は、議論が出来ません。どんぶり勘定で結論を出すことになる。あえて議論を試みると、ああでもなければ、こうでもないと不毛の議論になります。
国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しい。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。英語を実用の言語とすることが大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。
英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
> 理想が正しい(?)なら手段を選ばずで金権選挙も肯定。まるで共産主義だなw
> 金まみれの政権交代にいったいどんな意義がある?
政治哲学がない。理想がない。
ならば、選挙は地縁・血縁・金づるにものを言わせるしかない。
「今ある姿」は一つであると考えられています。人により違うようであれば、それは事実誤認が含まれていると考えて、事実関係調べが行われます。だがしかし、「あるべき姿」は人により異なると考えられています。だから、議論が成り立ちます。
「今ある姿」の世界の指導者となる人は、「あるべき姿」の内容を提示して、広くその正否を問う必要があります。
「あるべき姿」の内容を未来構文で表現し、「今ある姿」を現在構文の内容として考え、両者を比較した上で批判する。さらに、その現実対応の方策を割り出すことの出来る人は、物事を理解しているといえます。
物事を理解している人の答えは、リーズナブル (reasonable) になります。各人がリーズン (理性・理由・適当) のある答えを持ち寄って比較すれば、建設的な議論が可能です。
こうした活動を盛んにするには、個人を認める必要があります。個人主義が大切です。
日本語脳には、「あるべき姿」の内容を保持する余裕がないので、日本人に批判は出来ず、ただただ現状を忍耐で乗り切る現実肯定主義になります。
リーズナブルな答えには、相手を説得する力があります。これが、アングロ・サクソン流の知的な生きる力となります。
日本人には、「今ある姿」があって「あるべき姿」がない。感性ばかりで、理性がない。感想ばかりで、理想を語らない。「理屈っぽい」といって議論をする人を避ける。
だから、日本人の発言は歌詠みのようなものになります。語り部、浪曲師も似たようなものです。
「あるべき姿」と「今ある姿」の両者の比較検討ができなければ、ただ物事を知っているというだけのことになります。このような人は、議論が出来ません。どんぶり勘定で結論を出すことになる。あえて議論を試みると、ああでもなければ、こうでもないと不毛の議論になります。
国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しい。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。英語を実用の言語とすることが大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。
英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
これは メッセージ 34 (devil_snr さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/l1bcgedebeaebta4oa45a4ca45a4hbcada4aa4m_1/73.html