朝鮮通信使 20
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/08/08 15:08 投稿番号: [341 / 402]
「世子の目録に姓名を書かないのは何故か。国王は将軍と対等な礼であるが、世子は臣下に当たるのではないか。」と、「信使側は承引せず、大納言の目録は受け取らず、対客の間に置いたままで、三使はこのような大事な時に心安らかに部屋には居られないと、軍官の居所に設けられた食堂に屏風を立て留った。」
これをビジュアル化するとどうなるのだろう。現場は通信使の宿舎としてあてがわれた東本願寺だ。「軍官の居所」はその内部で軍官は身内だろう。そこに食堂も設けられていたというが、そんな身内ばかりのところで立て篭もって何になるのだろう。そりゃーいくらかの世話係(対馬藩士)が常駐していたと思うが、彼らに見せるつもりだったのか。それとも‘これだけ頑張った‘という身内に対するアリバイか。やるんなら対馬藩宿舎の門前で座りこんだほうがすっきりすると思うのだが・・。ともあれ、屏風で囲った狭い空間に大の男3人が、一様にこぶしを握りしめ、肩をいからせ、言葉を発することもなく向かい合って座りこんでいるのである。親に叱られ、部屋にたてこもってハンガーストライキをやる小娘なら可愛いところもあるのだが、なんともトホホな絵面であろう。
次の日、六月八日、通信使に対する返書を対馬藩の使者が持参し、上々官三人を呼び出し手渡す。
「印鑑のことは昨日答えたとおりであり、姓名のことは、日本では将軍の御子といえども将軍同様に尊敬しており、老少を以て尊卑を分けることはない。若君が将軍と同等でないなどと、公儀に申し上げることはできない。国々によって風俗も違うことであるからこのまま納めて、早々に帰国してください。」と認めてあった。
もう、用事は済んだんだし、ごちゃごちゃ言わずにおとなしく帰ってくれよ、という対馬藩の本音がのぞけて楽しい。
しかし信使は、印鑑のことは承認するにしても姓名が書かれていないのは許されない、それならば老中に直接書状をしたためお願いすると言い出す。
対馬藩は「老中への取り次ぎをするのが当藩の役目であり、直接書翰を出しても老中は受け取らない」というと、「では今晩老中に書簡を認め持参するからよろしく頼む」という分けのわからない返事が返ってくる。対馬藩使者は、『勝手次第にせよ』と突き放す。
少しあって、「それならば、将軍と大御所のご返翰と目録は三使の間に今晩安置するが、大納言の目録はそちらで保管してほしい」と言ってきた。署名のない大納言の目録受け取りはできない、と突っ張る。が、対馬藩は『もってのほかである』信使はそれなら『当方より番人をつけるが、そちらからも番人を出してほしい』と大納言目録の共同保管を求めてきた。対馬藩『それは決してならぬ』と断り、藩の通史にも申し含め帰る。
しかし暮れ方信使は対馬藩屋敷を訪れ『先ほどの対馬守よりの書翰拝見し、ほかのことはともかく、大納言の姓名の不記は何としても請けがたく、ご改撰下されるよう大納言付老中秋元但馬守様への書翰一本と対馬守様への添書翰を持参した』と受け取りを求める。対馬藩は「例がない」として受け取りを拒み、2通とも持って帰す。
六月九日。「今日も上々官が対馬守の屋敷に来て、三使の口上として、『昨夜仰せられたことを承知いたしました。但馬守様への書翰も手前に差し止めておきますので、このうえながらご周旋よろしくお願いいたします、委細は書翰に申し述べました』と書翰を差し出した。対馬側は受け取って、返事は書翰を見たうえ遣わすといって帰す。」引用本
六月十日。対馬藩では昨夜の書翰の返答を使者に持たせ信使の宿舎に届ける。返事はもちろん変わらない。
それを見た信使は「私どもの願いを今度はお聞き届けくださるかと心頼もしく存じておりましたが成らずとのこと、私どもまた書簡を以て申し上げます」と粘着する。
「夜に入って、朴上々官は書翰を持ってきて、先刻ご返事いただきましたが、御改選成らずとのこと、それでは私ども帰国もなりがたくどうかお願いをお聞き届けくださるよう書翰を認めてきましたと差し出した。文中に、『貴国大君於我国如此往復之事有事降等或は噂礼又必随当然之則若不然而貴国今日之規則 貴国薦紳大夫之知礼者将以為如何耶』
(貴国の将軍と我が国の往復がこのようにあるとき、世子と将軍では降等・対等と格の違いがあるのは当然の規則である。貴国がこの規則を用いないというのは、帰国の礼を知るおえらい方々は何と心得ておられるのか)と無礼の文句があり、対馬藩家老杉村大蔵が出てきて厳重に咎めた。そして『公儀に申し出ても改選がかなうものではなく、このうえは速やかにご帰国されるように』と上々官を帰す。」引用本
つづく
これをビジュアル化するとどうなるのだろう。現場は通信使の宿舎としてあてがわれた東本願寺だ。「軍官の居所」はその内部で軍官は身内だろう。そこに食堂も設けられていたというが、そんな身内ばかりのところで立て篭もって何になるのだろう。そりゃーいくらかの世話係(対馬藩士)が常駐していたと思うが、彼らに見せるつもりだったのか。それとも‘これだけ頑張った‘という身内に対するアリバイか。やるんなら対馬藩宿舎の門前で座りこんだほうがすっきりすると思うのだが・・。ともあれ、屏風で囲った狭い空間に大の男3人が、一様にこぶしを握りしめ、肩をいからせ、言葉を発することもなく向かい合って座りこんでいるのである。親に叱られ、部屋にたてこもってハンガーストライキをやる小娘なら可愛いところもあるのだが、なんともトホホな絵面であろう。
次の日、六月八日、通信使に対する返書を対馬藩の使者が持参し、上々官三人を呼び出し手渡す。
「印鑑のことは昨日答えたとおりであり、姓名のことは、日本では将軍の御子といえども将軍同様に尊敬しており、老少を以て尊卑を分けることはない。若君が将軍と同等でないなどと、公儀に申し上げることはできない。国々によって風俗も違うことであるからこのまま納めて、早々に帰国してください。」と認めてあった。
もう、用事は済んだんだし、ごちゃごちゃ言わずにおとなしく帰ってくれよ、という対馬藩の本音がのぞけて楽しい。
しかし信使は、印鑑のことは承認するにしても姓名が書かれていないのは許されない、それならば老中に直接書状をしたためお願いすると言い出す。
対馬藩は「老中への取り次ぎをするのが当藩の役目であり、直接書翰を出しても老中は受け取らない」というと、「では今晩老中に書簡を認め持参するからよろしく頼む」という分けのわからない返事が返ってくる。対馬藩使者は、『勝手次第にせよ』と突き放す。
少しあって、「それならば、将軍と大御所のご返翰と目録は三使の間に今晩安置するが、大納言の目録はそちらで保管してほしい」と言ってきた。署名のない大納言の目録受け取りはできない、と突っ張る。が、対馬藩は『もってのほかである』信使はそれなら『当方より番人をつけるが、そちらからも番人を出してほしい』と大納言目録の共同保管を求めてきた。対馬藩『それは決してならぬ』と断り、藩の通史にも申し含め帰る。
しかし暮れ方信使は対馬藩屋敷を訪れ『先ほどの対馬守よりの書翰拝見し、ほかのことはともかく、大納言の姓名の不記は何としても請けがたく、ご改撰下されるよう大納言付老中秋元但馬守様への書翰一本と対馬守様への添書翰を持参した』と受け取りを求める。対馬藩は「例がない」として受け取りを拒み、2通とも持って帰す。
六月九日。「今日も上々官が対馬守の屋敷に来て、三使の口上として、『昨夜仰せられたことを承知いたしました。但馬守様への書翰も手前に差し止めておきますので、このうえながらご周旋よろしくお願いいたします、委細は書翰に申し述べました』と書翰を差し出した。対馬側は受け取って、返事は書翰を見たうえ遣わすといって帰す。」引用本
六月十日。対馬藩では昨夜の書翰の返答を使者に持たせ信使の宿舎に届ける。返事はもちろん変わらない。
それを見た信使は「私どもの願いを今度はお聞き届けくださるかと心頼もしく存じておりましたが成らずとのこと、私どもまた書簡を以て申し上げます」と粘着する。
「夜に入って、朴上々官は書翰を持ってきて、先刻ご返事いただきましたが、御改選成らずとのこと、それでは私ども帰国もなりがたくどうかお願いをお聞き届けくださるよう書翰を認めてきましたと差し出した。文中に、『貴国大君於我国如此往復之事有事降等或は噂礼又必随当然之則若不然而貴国今日之規則 貴国薦紳大夫之知礼者将以為如何耶』
(貴国の将軍と我が国の往復がこのようにあるとき、世子と将軍では降等・対等と格の違いがあるのは当然の規則である。貴国がこの規則を用いないというのは、帰国の礼を知るおえらい方々は何と心得ておられるのか)と無礼の文句があり、対馬藩家老杉村大蔵が出てきて厳重に咎めた。そして『公儀に申し出ても改選がかなうものではなく、このうえは速やかにご帰国されるように』と上々官を帰す。」引用本
つづく
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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