Re: 横: ???
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/01/04 17:19 投稿番号: [46 / 177]
>南京について、「事件当時の」映像、作戦資料、報道資料とかの、虐殺を証明する「客観的な証左」があるなら教えてください。>
大災害や戦争で丸焦げになった死体や、バラバラになった死体の身元を確定する方法があったら教えてください。
夏淑琴裁判は事件があったという客観的な証左の一つだと思いますが。
南京裁判、東京裁判では、多くの元日本兵の証言があったのは、事実ではないですか。
こんな人もいましたよね:
(google参照):
谷 寿夫(たに ひさお、1882年12月23日 - 1947年4月26日)は岡山県出身の大日本帝国陸軍軍人、陸軍中将。南京大虐殺(南京事件)の責任を問われ南京裁判において処刑された軍人である。
[編集] 経歴
岡山中学校、東京府立四中を経て、陸軍士官学校卒(15期)、陸軍大学校卒(24期
恩賜)。
陸軍士官学校卒業後、日露戦争に従軍し、イギリス駐在武官(1915年 - 1918年)中、第一次世界大戦にも従軍する。その後、陸軍大学校の教官(兵学)に任命される。その時、兵学の教科書として、日露戦争を研究する時の必読書として知られる、機密日露戦史をあらわす。
1935年、第6師団長(熊本)に親補される。1937年12月中支那方面軍(松井石根司令官)の隷下として第6師団も南京攻略戦に参軍する。このとき、所謂、南京大虐殺がおきたとされる。南京攻略戦の成功により、中部防衛司令官に任命された。
1939年、予備役となる。戦後、南京大虐殺の責任を問われ、中国側に身柄を引き渡され、南京裁判にかけられ処刑される。裁判において谷は、申弁書で、掃討戦は第16師団(当時の師団長は中島今朝吾)が起こしたものであり、第6師団は無関係と主張した。
だが、現在でも、中国側からは、南京裁判で処刑されたことで、南京大虐殺の責任者として、松井石根につぎ、知名度が高い。谷の上司である第10軍司令官の柳川平助、主力として南京掃討戦を行なった中島第16師団長も1945年に死去しており、松井石根につぐ責任者である上海派遣軍司令官の朝香宮鳩彦王は皇族であり、不起訴となったため、生き残っていた谷に責任がまわってきたことは不運であった。
カテゴリ: 日本の陸軍軍人 | 岡山県出身の人物 | 南京大虐殺 | 1882年生 | 1947年没
これは メッセージ 45 (tiger_10_4_7 さん)への返信です.
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