連合軍側の罠
投稿者: htfgs719 投稿日時: 2005/06/12 18:43 投稿番号: [9179 / 29399]
南京事件についてその実態が不明確なまま
いつのまにかその被害を偽装拡大するなんぞ
現中共政府のやりそうなことです。
ところで南京大虐殺は
「東京裁判」に突如取り上げられた問題です。
その本質は
アメリカ軍の上層部の命令により実施された
広島、長崎への原爆投下が
国際法で禁じられていた一般市民に対する殺戮行為であり
さらにその数十万に上る死者といった
前代未聞の破廉恥行為を
一見合法に見せかけた裁判ショウ「東京軍事裁判」で
覆い隠すために仕組んだ連合軍側の罠とも言われています。
それに中国側が便乗したのでしょう。
当時の南京防衛戦の最高司令官唐生智は 船に例えれば南京と言う船の船長でした。
日本軍に交戦不能と見るや真っ先に下船した船長を見て
他の防衛軍兵士も略奪行為の末、我先に逃げ出したのです。
逃げ遅れた下っ端兵士は、
守るべき南京住民の衣服を奪い取り民間人の中に紛れ込んだ。
したがって、軍の実態は全くなくなっていたというのが実情で
虐殺行為があったかどうかについて
本来中国軍があって詳細をチェックしているべきところ
殆どなされていない。
これを流言蜚語のまま東京裁判に持ち込み
原爆投下の不当行為を覆い隠す道具にしたのです。
共産側はは関与していたとすれば督戦隊として逃げる南京市民を後から銃撃を加え、
後は更衣兵として市民の中に紛れ込んだぐらいでしょう。
即ち実態の多くは、同士討ちを日本軍のせいにしたものでしょう。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa01/nanking2.htm
唐生智は撤退を決定し、
退却命令を出した。
ところが命令が全軍に徹底する前に
唐生智は対岸に逃げてしまい、
指揮官に見捨てられた支那将兵は
パニック状態で下関に殺到したり、
あるいは安全区に逃げ込んだ。
下関の手前には
ユウ(手偏に邑)江門があり堅く閉ざされていた。
敗兵たちはベルトやゲートル、服を引き裂いて綱を作り城壁外に降りたが、
あせって墜落死する者もいた。
しかも、ここには支那軍の督戦隊がいて逃亡兵を銃撃した。
たどりついた下関埠頭でも船を求める市民や将兵の修羅場だった。
乗れなかった兵は船に発砲し、
乗れたとしても定員オーバーで沈没し、 群集におされ揚子江に転落する者もあった。
いつのまにかその被害を偽装拡大するなんぞ
現中共政府のやりそうなことです。
ところで南京大虐殺は
「東京裁判」に突如取り上げられた問題です。
その本質は
アメリカ軍の上層部の命令により実施された
広島、長崎への原爆投下が
国際法で禁じられていた一般市民に対する殺戮行為であり
さらにその数十万に上る死者といった
前代未聞の破廉恥行為を
一見合法に見せかけた裁判ショウ「東京軍事裁判」で
覆い隠すために仕組んだ連合軍側の罠とも言われています。
それに中国側が便乗したのでしょう。
当時の南京防衛戦の最高司令官唐生智は 船に例えれば南京と言う船の船長でした。
日本軍に交戦不能と見るや真っ先に下船した船長を見て
他の防衛軍兵士も略奪行為の末、我先に逃げ出したのです。
逃げ遅れた下っ端兵士は、
守るべき南京住民の衣服を奪い取り民間人の中に紛れ込んだ。
したがって、軍の実態は全くなくなっていたというのが実情で
虐殺行為があったかどうかについて
本来中国軍があって詳細をチェックしているべきところ
殆どなされていない。
これを流言蜚語のまま東京裁判に持ち込み
原爆投下の不当行為を覆い隠す道具にしたのです。
共産側はは関与していたとすれば督戦隊として逃げる南京市民を後から銃撃を加え、
後は更衣兵として市民の中に紛れ込んだぐらいでしょう。
即ち実態の多くは、同士討ちを日本軍のせいにしたものでしょう。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa01/nanking2.htm
唐生智は撤退を決定し、
退却命令を出した。
ところが命令が全軍に徹底する前に
唐生智は対岸に逃げてしまい、
指揮官に見捨てられた支那将兵は
パニック状態で下関に殺到したり、
あるいは安全区に逃げ込んだ。
下関の手前には
ユウ(手偏に邑)江門があり堅く閉ざされていた。
敗兵たちはベルトやゲートル、服を引き裂いて綱を作り城壁外に降りたが、
あせって墜落死する者もいた。
しかも、ここには支那軍の督戦隊がいて逃亡兵を銃撃した。
たどりついた下関埠頭でも船を求める市民や将兵の修羅場だった。
乗れなかった兵は船に発砲し、
乗れたとしても定員オーバーで沈没し、 群集におされ揚子江に転落する者もあった。
これは メッセージ 9177 (yominokuni56 さん)への返信です.