南京大虐殺 虚構の真実
投稿者: truth2020jp 投稿日時: 2005/05/22 17:11 投稿番号: [8692 / 29399]
●虚構と謀略の「南京大虐殺」 朝日新聞記者の告白
「虐殺?全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはない。誰もそういうことを言ったこともないし、朝日新聞では話題になったこともありません。難民区は兵隊や憲兵がいて入れませんでした。ですから市民は安全でした。一般市民の屍体というのは一つも見ていません。紅卍字会の人が戦死体をかたづけたりしていました。」(山本治氏 大阪朝日新聞記者)
「南京事件ねえ、全然聞いてない。もしあったとすれば、記者の中で話が出るはずだ。記者というのは、少しでも話題になりそうなことは、互いに話をするし、それが仕事ですからねえ。噂としても、聞いたことがない。
朝日では、現地記者を集め、座談会もやったが、あったなら話がでるはずだ。報道規制?何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていた。」(橋本登美三郎氏 朝日新聞南京派遣記者団キャップ)
「私が編集局長の時、南京に特派した記者たちを集めて、一人一人聞いてみたが、そのようなことは見たことも聞いたこともない、という返事ばかりだ。何万、何十万なんていう虐殺など、絶対にない。」(細川隆元氏 朝日新聞編集局長)
十三日に、中山門から城内に入りました。その日は中山門で写真を撮りましたが、南京陥落という写真をもっと欲しいと思い、翌十四日には国民政府だった建物があるというので、そこで写真を撮りました。これが特ダネとなり、号外になったんです。
もうこの日は、難民区の近くの通りでラーメン屋が開いていて、日本兵が十銭払って、食べていました。それと、中国人の略奪が続いて、中山路で机を運んでいる中国人や、店の戸をこじ開け盗んでいる者もいました。
十六日は、中山路で難民区から摘出された便衣兵の写真を撮っています。中山路いっぱいになりましたが、頭が坊主の者、ひたいに帽子の跡があって陽に焼けている者とか、はっきり兵士と分かる者を摘出していました。でも髪の長い中国人は、市民とみなされていました。たくさんの中国人が、日の丸の腕章をつけて、日本兵のところへ集まっていましたから、とても残虐行為があったとは信じられません。
もちろん、社の人たちからも、そんな話は聞いていません。
日本兵の屍体は、撮ってはいけないと言われていましたが、私は何でも撮りました。でも後になって見ても、日本兵が残虐なことをやっている写真なんか一枚もありません。この中には、日本兵が慰問袋を中国人にわけてやってるのがありますが、たくさんの中国人が群がっている、そんなものもあります。
こういう状態ですから、虐殺なんていうことは、私がたまたま見ていないというのではなく、なかったのだと思っています。(中略)
。
十年ほど前にも、朝日新聞が「中国の旅」という連載で、南京で虐殺があったと、中国人の話を掲載していましたが、そのころ日本には、当時南京にいた人がたくさんいるわけです。それなのに、
「何故日本人に聞かないで、彼らに都合のいい嘘ばかりのせるのか。」
そう思いました。当時南京にいた人は、誰もあんな話は信じないでしょう。それ以来、私は自宅で朝日を購読するのを止めましてね、その時、配達員に、
「朝日は嘘を書くから、とるのを止める。」
って、言いました。
よくあることですが、被害者は誇張して被害を語るものです。ことに南京陥落のころには、朝日記者やカメラマンが大勢いました。そうした人たちの証言ものせずに、一方的な被害記事に終始していたのでは、信頼性ある記事にはなりません。(佐藤振寿氏 東京日日新聞カメラマン)
しかし朝日は以上の真実を公表できない。公表すれば、本多勝一ら朝日の左翼幹部の繰り返してきた反日報道が全てウソであると認めることになり、朝日の信用と発行部数は激減するだけでなく、百人斬りを事実と主張する中国共産党に楯突く事になり、日中記者交換協定に抵触し、中国共産党によって、北京から追放されてしまうばかりか、金銭授受(ODAの還元)もしくは女性関係(北京娘々の「喜ばせ組」による接待)といったリクルート事件に匹敵するような何らかの醜態を暴露されるかもしれないからである。
朝日新聞記者は、中国共産党の検閲、社内に巣くうマルクス・レーニン教徒、そして彼等の先輩が繰り返してきた反日左翼偏向報道という三重のくびきによって厳重に統制されて、真実の報道を禁じられ、朝日新聞社の存続と記者自身の生活のために、虚偽の報道を余儀なくされているのである。
自由経済なき国に報道の自由\xA4
「虐殺?全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはない。誰もそういうことを言ったこともないし、朝日新聞では話題になったこともありません。難民区は兵隊や憲兵がいて入れませんでした。ですから市民は安全でした。一般市民の屍体というのは一つも見ていません。紅卍字会の人が戦死体をかたづけたりしていました。」(山本治氏 大阪朝日新聞記者)
「南京事件ねえ、全然聞いてない。もしあったとすれば、記者の中で話が出るはずだ。記者というのは、少しでも話題になりそうなことは、互いに話をするし、それが仕事ですからねえ。噂としても、聞いたことがない。
朝日では、現地記者を集め、座談会もやったが、あったなら話がでるはずだ。報道規制?何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていた。」(橋本登美三郎氏 朝日新聞南京派遣記者団キャップ)
「私が編集局長の時、南京に特派した記者たちを集めて、一人一人聞いてみたが、そのようなことは見たことも聞いたこともない、という返事ばかりだ。何万、何十万なんていう虐殺など、絶対にない。」(細川隆元氏 朝日新聞編集局長)
十三日に、中山門から城内に入りました。その日は中山門で写真を撮りましたが、南京陥落という写真をもっと欲しいと思い、翌十四日には国民政府だった建物があるというので、そこで写真を撮りました。これが特ダネとなり、号外になったんです。
もうこの日は、難民区の近くの通りでラーメン屋が開いていて、日本兵が十銭払って、食べていました。それと、中国人の略奪が続いて、中山路で机を運んでいる中国人や、店の戸をこじ開け盗んでいる者もいました。
十六日は、中山路で難民区から摘出された便衣兵の写真を撮っています。中山路いっぱいになりましたが、頭が坊主の者、ひたいに帽子の跡があって陽に焼けている者とか、はっきり兵士と分かる者を摘出していました。でも髪の長い中国人は、市民とみなされていました。たくさんの中国人が、日の丸の腕章をつけて、日本兵のところへ集まっていましたから、とても残虐行為があったとは信じられません。
もちろん、社の人たちからも、そんな話は聞いていません。
日本兵の屍体は、撮ってはいけないと言われていましたが、私は何でも撮りました。でも後になって見ても、日本兵が残虐なことをやっている写真なんか一枚もありません。この中には、日本兵が慰問袋を中国人にわけてやってるのがありますが、たくさんの中国人が群がっている、そんなものもあります。
こういう状態ですから、虐殺なんていうことは、私がたまたま見ていないというのではなく、なかったのだと思っています。(中略)
。
十年ほど前にも、朝日新聞が「中国の旅」という連載で、南京で虐殺があったと、中国人の話を掲載していましたが、そのころ日本には、当時南京にいた人がたくさんいるわけです。それなのに、
「何故日本人に聞かないで、彼らに都合のいい嘘ばかりのせるのか。」
そう思いました。当時南京にいた人は、誰もあんな話は信じないでしょう。それ以来、私は自宅で朝日を購読するのを止めましてね、その時、配達員に、
「朝日は嘘を書くから、とるのを止める。」
って、言いました。
よくあることですが、被害者は誇張して被害を語るものです。ことに南京陥落のころには、朝日記者やカメラマンが大勢いました。そうした人たちの証言ものせずに、一方的な被害記事に終始していたのでは、信頼性ある記事にはなりません。(佐藤振寿氏 東京日日新聞カメラマン)
しかし朝日は以上の真実を公表できない。公表すれば、本多勝一ら朝日の左翼幹部の繰り返してきた反日報道が全てウソであると認めることになり、朝日の信用と発行部数は激減するだけでなく、百人斬りを事実と主張する中国共産党に楯突く事になり、日中記者交換協定に抵触し、中国共産党によって、北京から追放されてしまうばかりか、金銭授受(ODAの還元)もしくは女性関係(北京娘々の「喜ばせ組」による接待)といったリクルート事件に匹敵するような何らかの醜態を暴露されるかもしれないからである。
朝日新聞記者は、中国共産党の検閲、社内に巣くうマルクス・レーニン教徒、そして彼等の先輩が繰り返してきた反日左翼偏向報道という三重のくびきによって厳重に統制されて、真実の報道を禁じられ、朝日新聞社の存続と記者自身の生活のために、虚偽の報道を余儀なくされているのである。
自由経済なき国に報道の自由\xA4
これは メッセージ 8682 (bakabakabakakabaka さん)への返信です.