南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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南京大虐殺事件論争概略。

投稿者: opentalk100 投稿日時: 2002/07/04 21:44 投稿番号: [85 / 29399]
狭義には1937年12月13日の南京占領から翌年2月中旬までの南京城内外における日本軍による中国人虐殺事件であり、広義には日本軍杭州湾上陸(同年11月5日)以来の一連の虐殺事件である。南京大虐殺事件を日本人が知ったのは東京裁判においてである。事件が「論争」となるのは日本が高度成長を遂げ、公然と15年戦争が肯定されるようになってからのことである。*虐殺事件の存在*組織性*犠牲者の数が主な論点である。70年代の第一次論争   80年代の第2次論争がある。第一次論争は1972年の鈴木明「南京大虐殺のまぼろし」が事件の存在?に疑問を呈して始まった。第二次論争は田中正明「南京事件の虚構」が事件の存在を否定したため中国を巻き込み大論争に発展した。が、しかし、論争の過程で多くの新資料が発掘、発表され、旧陸軍将校の親睦団体「偕行社」が機関紙「偕行」で「証言による南京戦史」を連載し、事件の存在を認め、中国人民に詫びたことをもって、事件の存否に関する論争は収束した。第2次論争は事件の非組織性を主張したのは旧文部省であり、教科書検定で「混乱の中で、、、、」と書き込ませた。が、しかし、南京攻略参加部隊の「戦闘詳報」などの資料や藤原彰「南京大虐殺」(1985年)吉田裕「天皇の軍隊と南京事件」(同年)などによって日本軍の組織的虐殺であることが明確となった。中国人犠牲者の数の問題は中国は1985年開館した侵華日軍南京大屠殺遭難同朋記念館に明示する30万人を主張する。これに対して、事件の存在を認めざるを得なくなった人は3万人から4万2千人という数字を提示、偕行社「南京戦史」でも3万人と言う。が、しかし、洞「決定版。南京虐殺」(1982年)で20万人を下らない数であるといい。「南京大虐殺の証明」(1986年)で少数説の誤りを指摘した。実証の厳密さからも「洞」「藤原」の主張には説得力があり、論争はここに決着した。
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