日本軍のマレー人大虐殺
投稿者: papa0720nikoniko 投稿日時: 2005/05/07 08:48 投稿番号: [8016 / 29399]
一九四二年二月一五日シンガポールの英軍が降伏し、日本軍はマレー
半島全土を占領した。そしてすぐにシンガポールを昭南島と改名した。
マレー半島には、マレー人、中国人(いわゆる華僑)、インド人など多
くの民族が住んでいた。この中で華僑は祖国の中国が長年にわたり日本
に侵略されてきたことから、日本への反感が強かった。そこで日本軍は
華僑に対して最初から厳しい態度でのぞんだ。
軍司令官の命令で、シンガポールの一八歳から五〇歳までの華僑の男
子が集められ、憲兵による検問がおこなわれた。二〇〜三〇万人はいた
と見られる人々をかんたんな質問や人相だけで「反日」的かどうかを判
断した。財産のある者や教師など学歴のある者はそれだけで「反日」的
と見なされた。「反日」と見なされた者はトラックに載せられ、海岸や
沼地に連れていかれて機関銃で射殺された。こうして虐殺された人は、
日本軍が戦後に弁明のために作った資料でも約五千人、シンガポールで
は約四〜五万人と言われている。
このシンガポールの粛清に続いて、三月から四月にかけてマレー半島
全土でも華僑の粛清がおこなわれた。都市では、シンガポールと同じよ
うに成年男子が選ばれて殺された。しかし農村では、抗日ゲリラが潜ん
でいるとの理由で、村の人々が女性や子供も含めて皆殺しにされたケー
スが多い。たとえば、マレー半島の山の中の村イロンロンでは、三月一
八日に日本軍がやってきて村の人たちは学校に集められた。そこから二
〇〜三〇人ずつ連れ出され、銃剣で刺し殺された。当時八歳だった蕭招
□さん(女性)は、家族らと一緒に並ばせられたところを日本兵に銃剣
で刺された。おかあさんが彼女をかばって上にかぶさってくれたおかげ
で左足を刺されただけで生きのびることができた。しかし両親と弟妹三
人を殺され、家族では彼女一人しか残らなかった。このイロンロンでは
約一千人近い人が殺された。ゲリラは実際にはイロンロンの奥のジャン
グルの中にいたのだが、日本軍は村人みんなを反日的とみなして殺した
のである。
マレー半島のいたるところでこうした粛清=虐殺がおこなわれ、その
犠牲者数は、数万人あるいは一〇万人以上になると推定されている。
その後も日本軍と憲兵は、疑いをかけた人々を逮捕しては拷問を加え
、「ケンペイ」と聞いただけで人々はこわがった。また泥棒などの犯人
を裁判にもかけずに首を切り、街角にさらし首にしたことも人々に衝撃
を与えた。
アジア太平洋戦争の開始直後におこなわれたこうした残虐行為は、華
僑を抗日運動に追いやっただけでなく、他の民族にも日本軍は残虐だと
いうイメージを植えつけてしまった。力で抑えつければ住民は従うだろ
うと考えていた日本軍は、初めから見通しを誤ったのである。
半島全土を占領した。そしてすぐにシンガポールを昭南島と改名した。
マレー半島には、マレー人、中国人(いわゆる華僑)、インド人など多
くの民族が住んでいた。この中で華僑は祖国の中国が長年にわたり日本
に侵略されてきたことから、日本への反感が強かった。そこで日本軍は
華僑に対して最初から厳しい態度でのぞんだ。
軍司令官の命令で、シンガポールの一八歳から五〇歳までの華僑の男
子が集められ、憲兵による検問がおこなわれた。二〇〜三〇万人はいた
と見られる人々をかんたんな質問や人相だけで「反日」的かどうかを判
断した。財産のある者や教師など学歴のある者はそれだけで「反日」的
と見なされた。「反日」と見なされた者はトラックに載せられ、海岸や
沼地に連れていかれて機関銃で射殺された。こうして虐殺された人は、
日本軍が戦後に弁明のために作った資料でも約五千人、シンガポールで
は約四〜五万人と言われている。
このシンガポールの粛清に続いて、三月から四月にかけてマレー半島
全土でも華僑の粛清がおこなわれた。都市では、シンガポールと同じよ
うに成年男子が選ばれて殺された。しかし農村では、抗日ゲリラが潜ん
でいるとの理由で、村の人々が女性や子供も含めて皆殺しにされたケー
スが多い。たとえば、マレー半島の山の中の村イロンロンでは、三月一
八日に日本軍がやってきて村の人たちは学校に集められた。そこから二
〇〜三〇人ずつ連れ出され、銃剣で刺し殺された。当時八歳だった蕭招
□さん(女性)は、家族らと一緒に並ばせられたところを日本兵に銃剣
で刺された。おかあさんが彼女をかばって上にかぶさってくれたおかげ
で左足を刺されただけで生きのびることができた。しかし両親と弟妹三
人を殺され、家族では彼女一人しか残らなかった。このイロンロンでは
約一千人近い人が殺された。ゲリラは実際にはイロンロンの奥のジャン
グルの中にいたのだが、日本軍は村人みんなを反日的とみなして殺した
のである。
マレー半島のいたるところでこうした粛清=虐殺がおこなわれ、その
犠牲者数は、数万人あるいは一〇万人以上になると推定されている。
その後も日本軍と憲兵は、疑いをかけた人々を逮捕しては拷問を加え
、「ケンペイ」と聞いただけで人々はこわがった。また泥棒などの犯人
を裁判にもかけずに首を切り、街角にさらし首にしたことも人々に衝撃
を与えた。
アジア太平洋戦争の開始直後におこなわれたこうした残虐行為は、華
僑を抗日運動に追いやっただけでなく、他の民族にも日本軍は残虐だと
いうイメージを植えつけてしまった。力で抑えつければ住民は従うだろ
うと考えていた日本軍は、初めから見通しを誤ったのである。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.