ジェトロの調査資料、、?あ〜0〜〜
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/02/13 11:22 投稿番号: [7236 / 29399]
1940年フランスはドイツに攻め込まれ、パリは陥落し、親独的なヴィッシー政権が成立しました。当時の仏印はこのヴィッシー政権の支配下にありました。
1941年大東亜戦争の開戦に先立ち仏印政府と協定し、仏印に進駐しました。今日の日本とアメリカの関係同様、行政権はフランスが持っていました。
44年8月連合軍が反攻し、パリを奪還しました。それに伴い仏印政府の動向が心配となり、日本は仏印の兵力を増強しました。
45年にはいるとそれまでの1個師団に加え、3個師団を投入し、3月9日にクーデターをおこし、仏印の行政権を奪取しました。尚ヒトラーが自殺したのは4月30日です。
一方南シナ海を挟んだ対岸のフィリピンでは、44年10月に米軍がレイテ島に上陸しました。
45年1月にはルソン島に上陸しました。それと共に米軍による仏印爆撃が強まり、南北を結ぶ鉄道が破壊され、船舶の被害も多くなり、仏印の南北輸送路は壊滅しました。
終戦時の仏印日本軍は約10万人です。10万人しかいない日本軍が如何に食料を調達しても、200万人餓死するわけがありません。米作から麻、ヒマ、などへの強制栽培転換が行われた結果そして、44年の秋から冬にかけ、ベトナム中・北部に大風水害が起こり、米作は大変な凶作になったことです。仏印政府もこれに対処する力がありませんでした。尚餓死者が本当に200万人もいたかどうかは、確認できませんでした。しかしその様な飢饉状態の中で、日本軍が食料の現地調達を行い、2年間分の米を確保しながら、現地へ放出しなかった、さらに内地へと搬出していた。とすれば、恨まれても仕方がないですよね。
この米など略奪物資を日本へ搬出するための麻袋を造るために麻を米に変えて強制栽培させた。飛行機の潤滑油を絞るためにも、ヒマが必要であったと言うことです。
ベトナム、カンボジアの民衆はこの戦争とは直接にはなんら関係の無い人たちでは無いでしょうかね?
恐るべし、軍事独裁ファシスト国家日本です。
ベトナムとの賠償は1954年南ベトナム政府がベトナム全土を代表するとの立場で、南ベトナム政府との間で結ばれています。北ベトナムとは1973年国交を回復しました。更に1978年南ベトナムに貸していた155億円の債務は北ベトナムが継承する。その代わり日本は無償160億円、有償200億円の援助を行うとの協定を結び、南ベトナムがベトナム全土を代表して日本と交渉して得た、債権・債務はすべて北ベトナムが継承することになったのです。
>僅か2万人強の部隊でできたのか?
なんと馬鹿なことを〜〜〜
これは メッセージ 7231 (akanbei_21c さん)への返信です.
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