日本軍公文書と
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2004/12/02 23:53 投稿番号: [6988 / 29399]
一致する【ペスト被害】
(事実認定された裁判の資料から)
★【1941年11月、日本軍機は常徳市中心部に粟、麦、綿などと共にペストノミを投下。】
ただち
に防疫対策がとられた。約1週間後に11歳の少女が死亡。
遺体の解剖の結果、ペストと判明。早期の防疫対策のため、数人の死者を出しただけでペストは沈静化する。
【しかし、翌年春、ペストに感染したネズミから再発。第2次感染により死者があいついだ。】
常徳のペストは、翌年(1942年)約20キロ離れた桃源県莫林郷、石公橋にも伝播する。
桃源県莫林郷では、5月に常徳市内に猪を売りlこ行った証人がペストに感染し、家族や見舞に訪れた人々16名が死亡。
石公橋では、10月に常徳市内からペストが伝播し、1ケ月の間に31名が死亡。常徳市への細菌戦は、2次・3次感染も含めて、公式に記録になっているだけでも死者は100名
にのぼる。
【日本軍資料が明らかにする常徳の細菌戦】
●当時の参謀本部作戦課員・井本熊男大佐(故人)の業務日誌(防衛庁防衛研究所図書館に所蔵されているが、現在は公開されていない)
11/4朝
目的方向の天候良好の報に接し97軽一キ出発(以下四字分抹消)
○五三○出発
○六五○到着
霧深し
Hを落として捜索、H800付近に層雲ありし為1000m以下にて実施す
(増田少佐操縦、片方の開函不十分
洞庭湖上に函を落す
アワ36kg、其後島村参謀捜索しあり
6/11
常徳付近に中毒流行(日本軍は飛行機一キにして常徳付近に散布せり、
之に触れたる者は猛毒なる中毒を起す)
11/20頃猛烈なる「ペスト」流行各戦区より衛生材料を集収しあり
判決
「命中すれば発病は確実」
(「アワ」とはペストノミのこと)
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/zyoutokudoku.htm
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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