惨!!通州虐殺事件3
投稿者: nokatiku 投稿日時: 2004/08/03 02:19 投稿番号: [5732 / 29399]
翌昭和十一年春には、張硯田の第二総隊内にすでに中共支部が結成されてゐ た。宋哲元との会見以後、冀東保安隊は第二十九軍(宋哲元軍長)と秘密裡に連携を保つたが、昭和十二年七月蘆溝橋事件が発生すると、張慶餘は河北省主 席・馮治安に指示を仰いだ(宋哲元は北平に不在)。馮は第二十九軍の開戦に呼応して通州で決起し、同時に一部保安隊で豊台を側面攻撃して挟撃の効果を 挙げよと指示すると共に第二十九軍参謀長・張
亭と連絡と連絡せしめ、張越亭は直ちに冀東保安隊第一、第二総隊を戦闘序列に編入した。
他方、張慶餘、張硯田総隊長は、通州特務機関長細木中佐が、第二十九軍の通州攻撃を防ぐために開いた軍事会議の席上、密かに示し合はせて細木機関長を欺き、分散してゐた配下の保安隊を通州に集結させるやう提案した。両名を 信頼してゐた細木中佐はこれに賛成、かつ散在してゐた日本居留民を保護する ため通州に集合させたのであつた。期くして準備が整ふや、七月二十八日夜十二時を期して通州城門を閉鎖し、一切の交通、通信を遮断して決起に移つたのであつた。
中国側の最新資料によれば通州反乱に至る事情は大要右の通りである。「誤爆」など何処にも出てこない。通州事件は二年間にわたる隠密裡の計画に基づく日本人襲撃事件だつたのであり、日本機に兵舎を誤爆され、疑心暗鬼となつて保安隊が起した事件などでは全然ない。
事件は右の如く計画に基づく反日蜂起ではあつたが、保安隊がその計画の実行に踏切つたについては、誤爆のやうな突発事件によつてではなく、別の、もつと打算的な原理によつて動かされたと見るべきであらう。既述の如く、南京 政府は「日本軍敗走」といふデマ放送を流してゐた。「日本軍を破つた」宋哲元の二十九軍が冀東に攻め込んできたら自分達の運命はどうなるのか。この際、冀東政府についてゐるのは甚だ危険である。機先を制して殷汝耕を生けどりにし、これを宋哲元と蒋介石に献上するなら、必ず恩賞に与ることができるに違 ひない。これが南京のデマ放送を信じた反乱者の思惑だつたのである。そして、昨日まで友軍であつた日本守備隊に対し、その兵力の最も手薄な時を見計らつて蜂起、襲撃を敢へてしたのであつた。
殺のために殺を好む
保安隊のこのやうな動機は、信義を踏みにじつても強者につくといふ、権謀術数渦巻く戦乱に明け暮れてきた支那民族特有の叛服常なき性格に根ざすものであり、信義を重大なものと考へる我が国民の到底理解し難いところである。
(注)通州人の特性 通州人は由来、軽佻浮華、軽較の術に長じ、打算的で義侠心がないと云はれる。金、元、明、清各朝の興亡史に「通州陥る」「通州降る」などの文字が見えるのもこのためだと云ふ。通州に昔「渡橋降伏」といふ言葉があつた。敵が八里橋(通州城西門から八華里にある橋で通州八景の一つ)を渡つてしまへば降伏するに如かず、の意味である。
このやうに鼓騒城外に迫れば戦はずして通州人の心胆は氷の如く冷たくなり、忽ちにして腰を抜かしてしまふ性向があると論ずる向きもあるが(中野江漢「事変と北支の風物」、『文藝春秋』昭和十二年九月号)、通州事 件を考へる上で参考になるかも知れない。
斯かる背信行為そのものが許し得ないことであるが、仮に百歩譲つて、日本守備隊に対する攻撃は、保安隊がすでに共産思想に染まつてゐたことからして理解できる面があるにしても、無辜の日本居留民二百六十余名の惨殺は全く殺のために殺を好む鬼畜も所業であり、天人共に許さざる蛮行である。罪なく、抵抗力もなき幼児・婦人に対してさへ、一片の憐れみの情を示すこともなく、ただ日本人であるからと云ふ理由で白昼平然と犯し、掠め、凌辱し、惨殺して行つた彼等支那保安隊は、人身を装ふ悪鬼悪獣と云はずして何と呼ぶべきであらうか。
他方、張慶餘、張硯田総隊長は、通州特務機関長細木中佐が、第二十九軍の通州攻撃を防ぐために開いた軍事会議の席上、密かに示し合はせて細木機関長を欺き、分散してゐた配下の保安隊を通州に集結させるやう提案した。両名を 信頼してゐた細木中佐はこれに賛成、かつ散在してゐた日本居留民を保護する ため通州に集合させたのであつた。期くして準備が整ふや、七月二十八日夜十二時を期して通州城門を閉鎖し、一切の交通、通信を遮断して決起に移つたのであつた。
中国側の最新資料によれば通州反乱に至る事情は大要右の通りである。「誤爆」など何処にも出てこない。通州事件は二年間にわたる隠密裡の計画に基づく日本人襲撃事件だつたのであり、日本機に兵舎を誤爆され、疑心暗鬼となつて保安隊が起した事件などでは全然ない。
事件は右の如く計画に基づく反日蜂起ではあつたが、保安隊がその計画の実行に踏切つたについては、誤爆のやうな突発事件によつてではなく、別の、もつと打算的な原理によつて動かされたと見るべきであらう。既述の如く、南京 政府は「日本軍敗走」といふデマ放送を流してゐた。「日本軍を破つた」宋哲元の二十九軍が冀東に攻め込んできたら自分達の運命はどうなるのか。この際、冀東政府についてゐるのは甚だ危険である。機先を制して殷汝耕を生けどりにし、これを宋哲元と蒋介石に献上するなら、必ず恩賞に与ることができるに違 ひない。これが南京のデマ放送を信じた反乱者の思惑だつたのである。そして、昨日まで友軍であつた日本守備隊に対し、その兵力の最も手薄な時を見計らつて蜂起、襲撃を敢へてしたのであつた。
殺のために殺を好む
保安隊のこのやうな動機は、信義を踏みにじつても強者につくといふ、権謀術数渦巻く戦乱に明け暮れてきた支那民族特有の叛服常なき性格に根ざすものであり、信義を重大なものと考へる我が国民の到底理解し難いところである。
(注)通州人の特性 通州人は由来、軽佻浮華、軽較の術に長じ、打算的で義侠心がないと云はれる。金、元、明、清各朝の興亡史に「通州陥る」「通州降る」などの文字が見えるのもこのためだと云ふ。通州に昔「渡橋降伏」といふ言葉があつた。敵が八里橋(通州城西門から八華里にある橋で通州八景の一つ)を渡つてしまへば降伏するに如かず、の意味である。
このやうに鼓騒城外に迫れば戦はずして通州人の心胆は氷の如く冷たくなり、忽ちにして腰を抜かしてしまふ性向があると論ずる向きもあるが(中野江漢「事変と北支の風物」、『文藝春秋』昭和十二年九月号)、通州事 件を考へる上で参考になるかも知れない。
斯かる背信行為そのものが許し得ないことであるが、仮に百歩譲つて、日本守備隊に対する攻撃は、保安隊がすでに共産思想に染まつてゐたことからして理解できる面があるにしても、無辜の日本居留民二百六十余名の惨殺は全く殺のために殺を好む鬼畜も所業であり、天人共に許さざる蛮行である。罪なく、抵抗力もなき幼児・婦人に対してさへ、一片の憐れみの情を示すこともなく、ただ日本人であるからと云ふ理由で白昼平然と犯し、掠め、凌辱し、惨殺して行つた彼等支那保安隊は、人身を装ふ悪鬼悪獣と云はずして何と呼ぶべきであらうか。
これは メッセージ 5731 (nokatiku さん)への返信です.