>>>横から失礼・・2
投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/05/12 16:03 投稿番号: [5143 / 29399]
富山氏は
(a) 大隊は昭和12年12月12日 麒麟門東方に於て行動を中止し 南京に入ることなく 湯水東方砲兵学校に集結す
(b) 大隊将兵は昭和12年12月13日から翌年1月8日まで外出を禁止せられ特に南京方面に外出せしめたることなし
と言っておられるのですか。
ふむ。これは変ですね。
(a)は、確かに9連隊は湯水東方を通過していますが、それは12日以前の行動だったはずですし...
12日には中山門全面に展開していますから。
兵力に余裕の無かった日本軍がわざわざ1個大隊を後方に留めておくかな?
師団の戦術・戦略予備としたのかもしれませんが...
師団作戦行動詳細が判ればはっきりするのですが...
(b)は戦闘終結後の「自由行動」が制限された、と言う意味でしょうか。
道路清掃=戦場掃除はこれには含まれませんから、16日に中山門付近の戦場掃除を担当していても、富山氏の証言は矛盾しませんね。
>また11日には【向井隊の本部が紫金山麓の霊谷寺】におかれ〜
これは富山氏の証言と矛盾しますね。
どちらが正確かは部隊の行動詳細でないと判断できないかも。(残っていれば、の話ですが)
ただ「11日には向井隊の本部が紫金山麓の霊谷寺におかれ」と言うのは「?」ですが...
富山氏の証言通りですと歩兵砲小隊のみ部隊から離れているのはありえませんし。
証言通りでないにしても、11日に紫金山、12日に移動、部隊と共に布陣、と考える方が自然ですし...
(歩兵砲は大隊火力支援部隊ですから)
>中山門から5キロの範囲といえば、ちょうど紫金山の南麓を走る公道にあたります。となると、富山氏の主張する(a)(b)は否定されてしまいます。
これは、少々強引過ぎる気がします。
部隊が湯水から動かなかったか、動いたか。
11日に歩兵砲小隊本部が紫金山山麓にあった事。
16日に「道路清掃」をした事。
が、12日に向井少尉が紫金山に「いなかった」事の否定条件にはならないのでは?
これは メッセージ 5142 (samurai_03_japan さん)への返信です.
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