横から失礼>野田・向井両少尉
投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/05/08 17:12 投稿番号: [5131 / 29399]
>両将校は、かれらの部隊が末端の小部隊であるために、その勇壮な戦いぶりが内地の新聞に伝えられることのないささやかな不満足を表明〜
まず、両少尉の「配置」ですが。
野田少尉は「大隊副官」
向井少尉は「大隊砲小隊長」ですね。
役割は野田少尉が「大隊長の秘書・事務補佐官」で、向井少尉は「大隊火力戦闘指揮・副調整官」ですね。
野田少尉は大隊長の傍らを離れて、身勝手な行動を取れる配置ではありません。
そして、大隊長が配下の中隊や小隊より前面に出て戦闘参加する事は有りませんから。
向井少尉は戦場で部下砲兵に対し射撃指揮を行なわねばなりません。(直接戦闘・白兵戦は、大隊所属中隊より後方に位置する歩兵砲小隊では無理でしょう。敵兵を真近に見ることも無いでしょう。)
プロの軍人で専従の大隊副官(優秀で常識のある人物が補職されていた)や、砲兵の専門家(ほぼ、希望してなった専門職)が『白兵戦』を望むでしょうか?
まず、彼らの配置上での疑問が一つ。
次に「紫金山で両少尉と会った」とされるのが12日だそうですが。
12日は向井少尉は負傷・後送。原隊復帰は南京戦終結後の12月15日。
12日に向井少尉と「会う」事は不可能でしょう。(戦闘中、野戦病院にて治療の為)
野田少尉についても。
両少尉の所属部隊は第16師団(京都・中島今朝吾中将)隷下の第19歩兵旅団(京都・草場辰巳少将)隷下第9連隊(京都・片桐護郎大佐)ですが。
第9連隊は1937/12/9、南京東方約15kmの湯水鎮付近に布陣。
その後麒麟門を経て南西へ向かい、12/12に南京城南東部の中山門東方に配備されています。
紫金山の約5km南方です。
すでに両軍ともに戦闘配置についており、大隊副官(中隊との連絡将校でもある)は大隊長の傍から離れる事はできません。
野田少尉も12日に紫山に行く事は不可能でしたでしょう。
直属上官の富山大隊長(歩兵砲小隊は大隊直属。大隊副官は当然)も、その点を証言されています。
*紫金山方面は、同じ第16師団隷下の第33連隊が配備されていました。
>【それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ、という話だった。】
「当番兵」と言うのは、司令官職(将官)以上につく「従兵、従卒」とは異なり専従者ではありません。
当然、自分の「配置」を持っています。
戦闘中はその「配置」で直属上官の指揮の元で戦います。
当番兵はあくまで、将校(佐官、尉官)に対し、兵営・野営での食事の用意、被服の洗濯・補修、等を各分隊から人数を出し、輪番制で行なう「普通の兵隊さん」ですから。
当番兵と戦闘配置は無関係です。
なので「当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ」と言う事はできません。
直属上官に抗議で捻じ込まれますよ。
それに、尉官程度なら当番兵は将校4〜5名に付1人程、です。
「とりかえっこ」は無理ですねぇ。いませんから。そんなに当番兵は。
当時の軍内制度を全く知らない人が、適当に書いた、としか読めませんが...
まず、両少尉の「配置」ですが。
野田少尉は「大隊副官」
向井少尉は「大隊砲小隊長」ですね。
役割は野田少尉が「大隊長の秘書・事務補佐官」で、向井少尉は「大隊火力戦闘指揮・副調整官」ですね。
野田少尉は大隊長の傍らを離れて、身勝手な行動を取れる配置ではありません。
そして、大隊長が配下の中隊や小隊より前面に出て戦闘参加する事は有りませんから。
向井少尉は戦場で部下砲兵に対し射撃指揮を行なわねばなりません。(直接戦闘・白兵戦は、大隊所属中隊より後方に位置する歩兵砲小隊では無理でしょう。敵兵を真近に見ることも無いでしょう。)
プロの軍人で専従の大隊副官(優秀で常識のある人物が補職されていた)や、砲兵の専門家(ほぼ、希望してなった専門職)が『白兵戦』を望むでしょうか?
まず、彼らの配置上での疑問が一つ。
次に「紫金山で両少尉と会った」とされるのが12日だそうですが。
12日は向井少尉は負傷・後送。原隊復帰は南京戦終結後の12月15日。
12日に向井少尉と「会う」事は不可能でしょう。(戦闘中、野戦病院にて治療の為)
野田少尉についても。
両少尉の所属部隊は第16師団(京都・中島今朝吾中将)隷下の第19歩兵旅団(京都・草場辰巳少将)隷下第9連隊(京都・片桐護郎大佐)ですが。
第9連隊は1937/12/9、南京東方約15kmの湯水鎮付近に布陣。
その後麒麟門を経て南西へ向かい、12/12に南京城南東部の中山門東方に配備されています。
紫金山の約5km南方です。
すでに両軍ともに戦闘配置についており、大隊副官(中隊との連絡将校でもある)は大隊長の傍から離れる事はできません。
野田少尉も12日に紫山に行く事は不可能でしたでしょう。
直属上官の富山大隊長(歩兵砲小隊は大隊直属。大隊副官は当然)も、その点を証言されています。
*紫金山方面は、同じ第16師団隷下の第33連隊が配備されていました。
>【それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ、という話だった。】
「当番兵」と言うのは、司令官職(将官)以上につく「従兵、従卒」とは異なり専従者ではありません。
当然、自分の「配置」を持っています。
戦闘中はその「配置」で直属上官の指揮の元で戦います。
当番兵はあくまで、将校(佐官、尉官)に対し、兵営・野営での食事の用意、被服の洗濯・補修、等を各分隊から人数を出し、輪番制で行なう「普通の兵隊さん」ですから。
当番兵と戦闘配置は無関係です。
なので「当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ」と言う事はできません。
直属上官に抗議で捻じ込まれますよ。
それに、尉官程度なら当番兵は将校4〜5名に付1人程、です。
「とりかえっこ」は無理ですねぇ。いませんから。そんなに当番兵は。
当時の軍内制度を全く知らない人が、適当に書いた、としか読めませんが...
これは メッセージ 5116 (dorawasabi5001 さん)への返信です.