強制連行は出鱈目の嘘っぱち
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2004/03/19 21:20 投稿番号: [4609 / 29399]
強制連行なるものがデタラメであったことは既に確定している。
朝鮮人は、徴用=強制連行、女子挺身隊=従軍慰安婦の朝日新聞による捏造デタラメを信じ込んでいる。
http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2001/2001.05/2001.05.report.05.htm
(7) 1992年1月14日、韓国ではマスコミが一斉に「小学生までが慰安婦にさせられた!」というショッキングなニューズを流しました。ところがこれがまた大言誤報で、真相は女子児童が挺身隊として勤労動員されたというだけの話だったのです。つまり挺身隊=慰安婦というデマを信じたマスコミの判断であったのです。
(8) 1992年11月中央大学教授吉見義明編「従軍慰安婦資料集」が刊行されましたが、その中に「強制連行」を示す資料は一つもありませんでした。その本の解説の中で吉見教授は「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべきであろう」と述べています。この人はこれまで「強制連行はあった」と論じてきたのに、色々調べていった末、それを裏付ける資料がないことが分かると論点をすり換えて「広義の強制連行」を考えるべきだなどと言い始めました。また「政府が資料を隠しているのかもしれないから、それが出てきたら事情が変わってくる」と暗示しているのも学者らしい狡さを見せつけられます。
(9) 1997年1月3日の「朝まで生テレビ」に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」ことと、および「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認めました。これは日本政府の5年前に調査した公式発表と一致するものです。
<吉田清治が自身の慰安婦狩り証言について、「フィクション」だったと認めた事実に関して>
吉田氏はその後、秦氏との電話会見にも応じ、「人権屋に利用された私が悪かった」と、反省の弁をほのめかしていたとのことです。
(*「諸君!」1998年11月号 秦郁彦「『空想虚言症』の記憶にさいなまれる『朝日新聞』」より)
当の吉田氏は、一時、右翼や旧軍人からの脅しやいやがらせで、知人宅に身を寄せたこともあったというが、「私がこれ以上言うと、元慰安婦や家族の方に迷惑がかかる。デッチ上げといわれても構いません。私の役目はもう終わったのですから」確かに、日本の謝罪外交を定着させた吉田氏の”役目”は終わったといっていいだろう。
ちなみに、吉田氏の履歴には不明な点が多いが、昭和22年4月の下関市議選に共産党から立候補。僅か129票の得票で落選している。この人、機を見るに敏だけの人生のようなのだ。
(*「週刊新潮」1995年1月5日号「『慰安婦強制連行』問題をデッチ上げた変な日本人」から抜粋)
朝鮮人は、徴用=強制連行、女子挺身隊=従軍慰安婦の朝日新聞による捏造デタラメを信じ込んでいる。
http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2001/2001.05/2001.05.report.05.htm
(7) 1992年1月14日、韓国ではマスコミが一斉に「小学生までが慰安婦にさせられた!」というショッキングなニューズを流しました。ところがこれがまた大言誤報で、真相は女子児童が挺身隊として勤労動員されたというだけの話だったのです。つまり挺身隊=慰安婦というデマを信じたマスコミの判断であったのです。
(8) 1992年11月中央大学教授吉見義明編「従軍慰安婦資料集」が刊行されましたが、その中に「強制連行」を示す資料は一つもありませんでした。その本の解説の中で吉見教授は「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべきであろう」と述べています。この人はこれまで「強制連行はあった」と論じてきたのに、色々調べていった末、それを裏付ける資料がないことが分かると論点をすり換えて「広義の強制連行」を考えるべきだなどと言い始めました。また「政府が資料を隠しているのかもしれないから、それが出てきたら事情が変わってくる」と暗示しているのも学者らしい狡さを見せつけられます。
(9) 1997年1月3日の「朝まで生テレビ」に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」ことと、および「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認めました。これは日本政府の5年前に調査した公式発表と一致するものです。
<吉田清治が自身の慰安婦狩り証言について、「フィクション」だったと認めた事実に関して>
吉田氏はその後、秦氏との電話会見にも応じ、「人権屋に利用された私が悪かった」と、反省の弁をほのめかしていたとのことです。
(*「諸君!」1998年11月号 秦郁彦「『空想虚言症』の記憶にさいなまれる『朝日新聞』」より)
当の吉田氏は、一時、右翼や旧軍人からの脅しやいやがらせで、知人宅に身を寄せたこともあったというが、「私がこれ以上言うと、元慰安婦や家族の方に迷惑がかかる。デッチ上げといわれても構いません。私の役目はもう終わったのですから」確かに、日本の謝罪外交を定着させた吉田氏の”役目”は終わったといっていいだろう。
ちなみに、吉田氏の履歴には不明な点が多いが、昭和22年4月の下関市議選に共産党から立候補。僅か129票の得票で落選している。この人、機を見るに敏だけの人生のようなのだ。
(*「週刊新潮」1995年1月5日号「『慰安婦強制連行』問題をデッチ上げた変な日本人」から抜粋)
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.