もう一度、記事全文を読めば?
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2004/02/29 23:02 投稿番号: [4567 / 29399]
>>軍慰安所は必ずその地域の日本軍司令官の認可を受けなければ設置できず
>これのどこが、軍の直接関与に繋がるのでしょうか?
軍政下で商売を始めようとするとき、軍政官の許可がいるのは
当たり前のこと。
あれれ、立派に【軍の直接関与につながってる】じゃないですか。
あなたはコピーしてないけど、【記事】には、【臨時休業・・・】まで、認可が要る。
これは、【軍が商売の生殺与奪権】を握っているということです。
それに、慰安所の【料金】は、皇軍側が決めていました。
【建物の貸与】もね。
【沖縄】では【皇軍兵士】たちが、【慰安所建設】までしています。
設計図が残っている。
これはまさに、【直接関与】でしょう?
>しかも、慰安所は経営者が経営している。
その経営者が日本軍なら直接関与ということになるだろうが、
【従軍慰安婦資料集】には、【部隊において経営し】と言う記述や、責任者に一般人に混じって【海軍大尉や陸軍中佐】と言う記述もある。
【陸軍経理学校】では、慰安所の開設方法まで教えていた、と後のフジ・サンケイ社長が証言している。↓
元サンケイ新聞社社長鹿内信隆は桜田との対談で、陸軍経理学校時代の話が「慰安所の開設」になったとき、次のように語っている。
「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分――といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』)
慰安所を担当した主計将校に慰安婦の選別の基準まで軍で教育していたことがわかる。
中国にいたある主計将校は師団の参謀から「至急民家を改装して兵隊用の慰安所を作れ。ついでに洛陽で女も集めて来い」と命令され「塩を二、三俵トラックに積んで、洛陽市内に女狩りに赴」き十数人を集めたことを語っている(宮谷重雄「わが戦記恥さらし」)。
アンボン島にいた海軍の主計将校の証言によると、参謀が四つの慰安所を設置し百名の慰安婦を「現地調達」する案を示した。それは「日本将兵とよい仲になっているもの」を「密告」などによって探し出し「その中から美人で病気のないもの」を選ぶという計画だった。この主計将校はこのことを「慰安婦狩り」と呼び「クラブで泣き叫ぶインドネシアの若い女性の声を私も何度か聞いて暗い気持ちになったものだ」と回想している(坂部康正「アンボンは今」)。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper02.htm
>> また、慰安所で働く慰安婦の数字と個人記録、身体検査、
慰安所の位置といった慰安所の経営に関する事項も認可が
必要だったことが分かった。
>これもごく当たり前のこと。
自軍の兵士を守るためには必要なことでしょう?
素性の分からない売春婦を相手に、変な病気をうつされては
たまったものではないからね。
【性病検査】は、女性たちがまず検査されている。
罹患率の多かった【日本人娼婦達】は、敬遠され、未経験の【植民地や占領地の未成年】が多くターゲットにされた。
将兵達は定期的な性病検査は無かった。
むしろ、罹病を隠す傾向があったという。
被害を受けたのは、女性たちです。
>これが、日本軍の直接関与に繋がるという解釈が
理解できませんね。
単なる言いがかりですね。
これは、【言いがかり】ではなく、当時の米軍調査による資料から解明された事です。
↓ 「日本政府」も【軍の関与】を認めている
*いわゆる従軍慰安婦問題に対する日本政府の施策
平成15年1月
日本政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、平成3年(1991年)12月以降、全力を挙げて調査を行い、平成4年(1992年)7月、平成5年(1993年)8月の2度にわたり調査結果を発表、資料を公表し、内閣官房において閲覧に供している。
また、平成5年(1993年)の調査結果発表の際に表明した河野洋平官房長官談話において、
この問題は当時の【軍の関与の下に】、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるとして、心からのお詫びと反省の気持ちを表明し、以後、日本政府は機会あるごとに元慰安婦の方々に対するお詫びと反省の気持ちを
>これのどこが、軍の直接関与に繋がるのでしょうか?
軍政下で商売を始めようとするとき、軍政官の許可がいるのは
当たり前のこと。
あれれ、立派に【軍の直接関与につながってる】じゃないですか。
あなたはコピーしてないけど、【記事】には、【臨時休業・・・】まで、認可が要る。
これは、【軍が商売の生殺与奪権】を握っているということです。
それに、慰安所の【料金】は、皇軍側が決めていました。
【建物の貸与】もね。
【沖縄】では【皇軍兵士】たちが、【慰安所建設】までしています。
設計図が残っている。
これはまさに、【直接関与】でしょう?
>しかも、慰安所は経営者が経営している。
その経営者が日本軍なら直接関与ということになるだろうが、
【従軍慰安婦資料集】には、【部隊において経営し】と言う記述や、責任者に一般人に混じって【海軍大尉や陸軍中佐】と言う記述もある。
【陸軍経理学校】では、慰安所の開設方法まで教えていた、と後のフジ・サンケイ社長が証言している。↓
元サンケイ新聞社社長鹿内信隆は桜田との対談で、陸軍経理学校時代の話が「慰安所の開設」になったとき、次のように語っている。
「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分――といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』)
慰安所を担当した主計将校に慰安婦の選別の基準まで軍で教育していたことがわかる。
中国にいたある主計将校は師団の参謀から「至急民家を改装して兵隊用の慰安所を作れ。ついでに洛陽で女も集めて来い」と命令され「塩を二、三俵トラックに積んで、洛陽市内に女狩りに赴」き十数人を集めたことを語っている(宮谷重雄「わが戦記恥さらし」)。
アンボン島にいた海軍の主計将校の証言によると、参謀が四つの慰安所を設置し百名の慰安婦を「現地調達」する案を示した。それは「日本将兵とよい仲になっているもの」を「密告」などによって探し出し「その中から美人で病気のないもの」を選ぶという計画だった。この主計将校はこのことを「慰安婦狩り」と呼び「クラブで泣き叫ぶインドネシアの若い女性の声を私も何度か聞いて暗い気持ちになったものだ」と回想している(坂部康正「アンボンは今」)。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper02.htm
>> また、慰安所で働く慰安婦の数字と個人記録、身体検査、
慰安所の位置といった慰安所の経営に関する事項も認可が
必要だったことが分かった。
>これもごく当たり前のこと。
自軍の兵士を守るためには必要なことでしょう?
素性の分からない売春婦を相手に、変な病気をうつされては
たまったものではないからね。
【性病検査】は、女性たちがまず検査されている。
罹患率の多かった【日本人娼婦達】は、敬遠され、未経験の【植民地や占領地の未成年】が多くターゲットにされた。
将兵達は定期的な性病検査は無かった。
むしろ、罹病を隠す傾向があったという。
被害を受けたのは、女性たちです。
>これが、日本軍の直接関与に繋がるという解釈が
理解できませんね。
単なる言いがかりですね。
これは、【言いがかり】ではなく、当時の米軍調査による資料から解明された事です。
↓ 「日本政府」も【軍の関与】を認めている
*いわゆる従軍慰安婦問題に対する日本政府の施策
平成15年1月
日本政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、平成3年(1991年)12月以降、全力を挙げて調査を行い、平成4年(1992年)7月、平成5年(1993年)8月の2度にわたり調査結果を発表、資料を公表し、内閣官房において閲覧に供している。
また、平成5年(1993年)の調査結果発表の際に表明した河野洋平官房長官談話において、
この問題は当時の【軍の関与の下に】、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるとして、心からのお詫びと反省の気持ちを表明し、以後、日本政府は機会あるごとに元慰安婦の方々に対するお詫びと反省の気持ちを
これは メッセージ 4565 (mackyver2003 さん)への返信です.