中国人の「強制連行犠牲者」
投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/02/15 22:28 投稿番号: [4507 / 29399]
捕虜・劉連仁の「発見」
1958年2月、北海道の山中で劉連仁が、農民によって【発見】された。
札幌華僑総会などの世話によって、劉は山東省出身の農民で、日本軍によって拉致され、北海道の明治鉱業昭和鉱業所に連行されて強制労働につかされ、敗戦直前に収容所を脱走し、以後足掛け14年にわたって孤独な逃亡生活を続けてきた事が判明した。
中国人捕虜殉難者慰霊実行委員会は直ちに声明を発表し、この問題は「侵華戦争に基づく中国人捕虜殉難事件のひとつ」ととらえて、即時帰国、しかるべき説明、正当な補償を日本政府が行うべきである事を、指摘した。
時の首相は【岸信介】であった。
奇しくも【岸】は、中国人強制連行を決定した1942年の、閣議決定に【商工大臣】として、署名し、【連行の促進を決定】した44年の、【次官会議決定に軍需省次官】として、署名した人物である。
当局は、劉を【不法入国者】として取り調べようとしたが、劉はこれを頑として受け入れず、【私の身分については、岸信介に聞くが良かろう】と言い放った。
日本の民主団体はもとより、中国の新華社、北京放送、人民日報も相次いで、日本政府の態度に厳しい抗議を行った。
追い詰められた【岸内閣】は、愛知揆一内閣官房長官名で【長い間苦労されたとのことで、まことにお気の毒に存じます】と言う文言の入ったまったく無責任・無内容な手紙と、【金一封】を届けようとしたが、劉は毅然とした態度でこれを退け、【岸内閣】の責任を追及し、賠償請求権を留保する事を声明して、4月10日、第8次遺骨送還船に乗って、帰国した。
【中国人強制連行問題】をはさんでの【劉連仁と岸信介の対峙】は、戦争責任が清算されないまま、戦後日本に引き継がれ、当時の政策決定の当事者が日本の政治の頂点に立っていると言う事を改めて明るみに出した。
それから38年を経た1996年、劉連仁は、日本政府に損害賠償請求を求める裁判を東京地裁に提訴した。
その審理中の2000年9月、劉は87歳で他界したが、連行されたときに母親の胎内にいた息子の劉煥新が継承し、裁判は継続された。
そして、2001年7月12日判決が下され、、強制連行・強制労働の被害そのものに対する損害賠償請求権は退けられたが、1947年国家賠償法施行以後の【救済義務違反について、損害賠償請求が認定】された。
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【国側が控訴】したのは、自己の責任について、反省をしてないしるしであると言わざるを得ない。
「中国人強制連行」から
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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