南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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doeawasabiさんへ

投稿者: omega_tribes 投稿日時: 2004/01/10 13:01 投稿番号: [4257 / 29399]
>   日本は、だんだんあのころと同じ道をたどっているのじゃないか、と不安になるこのごろです。

戦争を体験した世代というのは、基本的に憲法九条に賛成です。野中や宮沢、故梶原や故鯨岡そして村山もそうですね。財界では、「財界の鞍馬天狗」と言われた中山素平もそうです。ところが、彼らが政界を引退してり、亡くなったりして、戦争を知らないタカ派の小泉や石破などが出てきますからね。今後、どうなるのでしょうか。

それと矢内原忠雄という人の演説を紹介します。キリスト教の人道主義に基づいた彼の見解は一見の価値があります。


1937年10月の藤井武記念館での演説


  アメリカのイラク侵攻によせて、日中戦争を批判した矢内原の演説が今の状況に当てはまる。日本を米国、支那をイラクに置き換えて読んでみて下さい。

「わが日本の国においても、キリスト教は信用を失いました。 あるいは、失わんとしているのであります。キリスト教の権威と共に、日本国の理想は滅びんとしております。否、滅びました。 私は詳しく述べません。しかし、日本人の凡てが、ことに日本人の中の心あるものが、ことに日本人の中のキリスト教徒は、今 一 つの問題に対して彼の態度の決定を迫られています。態度の決定 を要求せられているのであります。   これについて二、三のことを考えてみる。あるいはいわく、 キリスト教は宗教である。政治の問題は政治家に任せたのである、政治家の定めたことに従って行く、と。これが一つの答案 であります。政治批判、この世の問題についての批判から遊離する。かく遊離することによってキリスト教を守ろうとする態度であります。しかし、キリストが言われているのに、汝らは地の塩である、塩もしその味を失ったなら何を以って塩づける のか。 現実の社会の不義を批判しないものは、味のない塩であります 。自分を守らんとすることによって、自分を失っているのであ ります。政治の運動に従事しないと言うことと、政治を批判することは、自ずから別であります。批判は正義の声であります。   第二の答案に曰く、日本の国がシナの国を撃つのは聖書の示す教えである。神の命である。なんとなれば、支那は己の罪によって裁かれているのである。日本はこれを裁く神の怒りの杖 である。だから日本の支那を打つのは神の御用に預かっている のであると。   明白に私は申しますけれでも、かかる聖書の解釈が神の名に依って立つところの教会、その信者によって唱えられていると 言うのは何事であるか。現実国家の命令には国民としては服従 いたします。服従しなければなりません。しかし、現実国家の 言う所を、ことごとく、道徳的に信仰的にしかも聖書的に弁護 すると言うならば、キリスト教の存在の価値はないのでありま す。神に裁かれたユダの国よりも、おのれを驕ぶってユダを撃 ったアッスリアの罪のほうが、さらに大きいのであるーわかり ますか!アッスリアの罪は、ユダの罪よりもまだ大きい。−自ら恐れなければならない」

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1794/yanaihara.html
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