南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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平頂山事件オンライン資料館開設

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2013/02/17 16:30 投稿番号: [29376 / 29399]
(紹介)平頂山事件資料館

1932年の平頂山事件に関するオンライン資料館が開設されています。
http://heichouzan.com
解説、証言、当時の新聞報道(世界各地)、裁判資料、写真資料、など

■平頂山事件とは

1932年9月16日、中国東北部の炭鉱都市、撫順近郊の平頂山集落で、日本軍が非戦闘員である中国人住民3,000名余りを虐殺した事件。

■平頂山事件の概要

1932年9月15日夜、遼寧民衆自衛軍と名乗る抗日組織(日本軍は当時「匪賊」と呼んでいた)により満鉄の経営する撫順炭鉱が攻撃され、日本人側に死傷者がでるなど大きな被害を受けた(撫順炭鉱襲撃事件)。これに対し、撫順を防備していた関東軍の独立守備隊第二大隊第二中隊は、翌9月16日, 襲撃部隊が平頂山集落を通過するのを知りながら通報しなかったのは同集落の住民が「匪賊」に通じているからだとして,報復のために同集落を中心に3000 名余りといわれる無抵抗の住民を虐殺した。

■証言(一部抜粋)
私たちは、群衆の真ん中あたりを目指して移動しているところでした。日本兵は私たちに座るように手振りをしました。そして、その手振りをしながら、写真機のような物から、布を取りました。何と、それまで写真機だと思っていたのは、機関銃でした。私たちが機関銃だと分かったと同時に、日本兵は、発射しました。

倒れてから、私にも銃弾が当たったことが判りました。何カ所にも当たっていました。後でわかったのですが、この時私は、頭や首、左腕、左脇腹、右足など、八カ所に銃弾を受けていました。しかし、当たった順番などはとても覚えてはいません。この時に、首に銃弾が残りました。祖父の身体が、私の上に覆い被さっていて、息ができないくらいの苦しさでした。私は、痛みのため意識を失いました。

私が目を覚ましたのは、すぐ近くで、上の弟が「マー(媽)!」 「マー(媽)!」と叫んでいたからだったのかも知れません。私が目を覚まして間もなく、上の弟が這い出して来たのが見えました。弟は「マー(媽)!」と大きな声で叫びました。すぐに日本兵が来ました。日本兵は、弟めがけて、銃剣で、上から突き刺しました。銃剣は、クシー、と音を立てて、弟の身体に入りました。日本兵は、弟の身体を突き刺したままの銃剣を、上に振り上げて、弟を投げ捨てました。


□柏書房『平頂山事件資料集』(井上久士・川上詩朗編)
http://www.kashiwashobo.co.jp/cgi-bin/bookisbn.cgi?isbn=978-4-7601-4150-0
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