Re: 公文書からみるスマラン事件、他
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/15 08:27 投稿番号: [29131 / 29399]
1943年までの時期は、慰安婦に関する公文書の記録が非常に少ないが、その時期でも、インドネシア人やヨーロッパ人女性の募集は、地方ごとに小規模な慰安所用に行われていたという。1944年の初頭に起こったスマラン事件を始めとする中部ジャワ抑留所関連の事件は、高級将校によって終止符が打たれた経過からも、事件は、確かにジャワにいたオランダ人慰安婦の募集という点において、1つの転機になったということは、オランダ3公文書館の資料からもある程度理解できたが、その事が直接他の人種、民族の募集でも同様であったとは限らない。しかし、この時期の前後半年間に(インドネシアの周辺で)種々の変化が起こったことを付け加えておく。1943年後半にはマレー半島の慰安施設の規定の発行、同年12月には、ボルネオで正式な慰安所数軒を開設、そして翌年の1944年初頭には、ハルマヘラでも慰安所が開設されていった。時期的に近接しているこれら一連の事例が、それぞれ何らかの結びつきがあるのかは、今後さらに詳細な記述のある記録の発掘がない限り、結論をだすのは難しい。
これは メッセージ 29128 (sho*jou** さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/29131.html