強制連行の白馬事件は・・
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/08/22 01:01 投稿番号: [27899 / 29399]
文字通りの強制連行は、さすがに植民地下では少ないが(だまして連行が多い)、中国や、東南アジアでは、たくさんの「強制連行」証言がある。
【日本軍は知っていたが裁かなかった。】・・つまりこんな事は日常茶飯事だったんでしょう。
白馬事件は、戦後オランダの軍事法廷で裁かれた。
判決は・・【日本人将兵ら死刑1名を含む有罪11名となった】
他にも強制連行↓
* 他方、グアム島での裁判資料は、95年11月に「朝鮮人強制連行真相
調査団」によりアメリカの国立公文書館で発見されました。
その記録によると、
処罰されたのは日系の民間人で、当時、日本軍が占領していたグアム島で1942年2月、現地の女性二人に「本人の同意を得ることなく売春を強制した」
というものでした。この被告は反逆罪にも問われており判決は死刑でした。
これに対応する関連資料が法務省で発見されました。それによると同被告の起訴理由は
「婦女を慰安婦として日本軍にあっせんした」と記され、慰安
婦の強制が日本軍のためであったことが確認されています
(共同通信ニュース速報、95.11.27)。
*海軍(四南遣艦隊)司令部副官である東
大出身の大島主計大尉が、インドネシアでの「慰安婦」集めについておよそこう述べたことが伝えられています(禾晴道「海軍特別警察隊」太平出版社)。
・・・
「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集めること、そのためには宣撫用の物資も用意する。
いまのところ集める場所は、海軍病院の近くにある元の神学校の校舎を使用する予定でいる。集まってくる女には、当分の間、うまい食事を腹いっぱい食べさせて共同生活をさせる。
その間に、来てよかったという空気をつくらせてうわさになるようにしていきたい。
そして、ひとりひとりの女性から、慰安婦として働いてもよいという承諾書をとって、
【自由意志で集まったようにすることにしています】
「特警隊なら通訳もいるし、おどしもきくから(女集めを)どうか」
これに対し、特警隊の禾(のぎ)晴道中尉は「治安維持を任務としている特警隊の信頼はまったくなくなる」ことを理由に、
「特警隊は協力することはできます。女性のリストをつくり現地人の警察隊とか、住民のボスを利用して、反感が直接日本軍にくることを防ぐ必要があります」と述べて、この任務を逃れました。
結局、「慰安婦」集めは民政関係の現地人
警察を指導している政務隊におしつけられ、副官が中心になり、特警隊は協力し、各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになりました。
そうやって政務隊が「女集め」をしましたが、その後のエピソードを、担当の司政官が禾中尉に戦後、次のように語りました。
【あの慰安婦集めには、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、
リストに報告されていた娘を強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、
娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞくと港に集まって船に近
づいてきて、娘を返せ! 娘を返せ! と叫んだ声が耳に残っていますよ。】
こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピストルに手をやりました。・・
「半月城通信」から
【日本軍は知っていたが裁かなかった。】・・つまりこんな事は日常茶飯事だったんでしょう。
白馬事件は、戦後オランダの軍事法廷で裁かれた。
判決は・・【日本人将兵ら死刑1名を含む有罪11名となった】
他にも強制連行↓
* 他方、グアム島での裁判資料は、95年11月に「朝鮮人強制連行真相
調査団」によりアメリカの国立公文書館で発見されました。
その記録によると、
処罰されたのは日系の民間人で、当時、日本軍が占領していたグアム島で1942年2月、現地の女性二人に「本人の同意を得ることなく売春を強制した」
というものでした。この被告は反逆罪にも問われており判決は死刑でした。
これに対応する関連資料が法務省で発見されました。それによると同被告の起訴理由は
「婦女を慰安婦として日本軍にあっせんした」と記され、慰安
婦の強制が日本軍のためであったことが確認されています
(共同通信ニュース速報、95.11.27)。
*海軍(四南遣艦隊)司令部副官である東
大出身の大島主計大尉が、インドネシアでの「慰安婦」集めについておよそこう述べたことが伝えられています(禾晴道「海軍特別警察隊」太平出版社)。
・・・
「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集めること、そのためには宣撫用の物資も用意する。
いまのところ集める場所は、海軍病院の近くにある元の神学校の校舎を使用する予定でいる。集まってくる女には、当分の間、うまい食事を腹いっぱい食べさせて共同生活をさせる。
その間に、来てよかったという空気をつくらせてうわさになるようにしていきたい。
そして、ひとりひとりの女性から、慰安婦として働いてもよいという承諾書をとって、
【自由意志で集まったようにすることにしています】
「特警隊なら通訳もいるし、おどしもきくから(女集めを)どうか」
これに対し、特警隊の禾(のぎ)晴道中尉は「治安維持を任務としている特警隊の信頼はまったくなくなる」ことを理由に、
「特警隊は協力することはできます。女性のリストをつくり現地人の警察隊とか、住民のボスを利用して、反感が直接日本軍にくることを防ぐ必要があります」と述べて、この任務を逃れました。
結局、「慰安婦」集めは民政関係の現地人
警察を指導している政務隊におしつけられ、副官が中心になり、特警隊は協力し、各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになりました。
そうやって政務隊が「女集め」をしましたが、その後のエピソードを、担当の司政官が禾中尉に戦後、次のように語りました。
【あの慰安婦集めには、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、
リストに報告されていた娘を強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、
娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞくと港に集まって船に近
づいてきて、娘を返せ! 娘を返せ! と叫んだ声が耳に残っていますよ。】
こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピストルに手をやりました。・・
「半月城通信」から