岸を傘下に納めた・・・・
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/04/12 00:55 投稿番号: [27462 / 29399]
★【天皇とアメリカ】P103〜4から
・・パーソンズは戦前に東京のアメリカ大使館に駐在し、戦後また在東京の大使館勤務となって、最終的には国務省の極東担当次官補になりました。
引退後に自伝を書いています。
その自伝では、岸信介についてかなり触れています。
【元戦犯(戦犯容疑とは書いていない)の岸は、50年代に在東京大使館の我々の働きかけで傘下に納まり・・
自民党総裁になった後に、岸はアメリカの信頼できる協力者となった】と証言しています。・・
この自伝とは別にパーソンズがロバートフィアリーと言う元国務省職員に送った手紙では、
岸を【傘下に納めた】のは、1954年だったと書いています。
(どら・・首相就任は57年)
○さんか 1 【傘下】
【勢力のある人物や組織に属して】その支配・影響・庇護などを受ける立場にあること。翼下。
*********
★・・
⑩ 1957年11月、岸は「自由民主党」の名の下、保守勢力を糾合した。
自民党の指導者として岸は、国会に議席を持つ人間をリクルートし、彼の配下に入れる工作を、CIAに許可した。
⑪ 政権トップに登り詰める中で岸は、安保条約の改定をアメリカ側に約束した。岸との連絡役のCIAのケース・オフィサー、クライド・マカヴォイは、戦後日本の外交についてレポートすることができた。
⑫ 1957年2月、岸が日本の首相になる日、国会で安保条約にかかわる死活的に重要な手続きが行われる予定だった。
これについて、マカヴォイは、こう証言した。「岸とわたしはその日のクーデターを流産させた」と。マカヴォイはさらにこう語った。「アメリカと日本は、合意に向かって動いていた。これを日本共産党は特別な脅威を感づいた。・・
⑬ 1957年6月、岸はアメリカを訪問、ヤンキースタジアムで始球式を行い、白人専用のゴルフ場でゴルフをした。
岸は新しい日本大使に決まっていた、マッカーサー将軍の甥、ダグラス・マッカーサー2世に、もしアメリカが権力基盤強化の手助けをしてくれれば、日米安保条約は国会で成立するだろうし、高まる左翼の潮流も取り除くことができると語りかけた。
【岸は、一連の内密の支払いではなく、CIAによる財政的支援の恒久的な財源を求めた(Kishi wanted a permanent source of financial support from the CIA rather than a series of surreptitious payments.)。】
⑭ アイゼンハワー大統領は自民党の有力者へのCIAの金の支払いを承認した。CIAの役割を知らない政治家は、アメリカの大企業からの金だと思い込まされた。CIAの金はすくなくとも15年間、4代の大統領にわたって続いた。
⑮ 【岸信介とともに、戦時内閣で大蔵大臣を務めた元戦犯の賀屋も釈放され、国会議員として復活した前後に、CIAによってリクルートされた。】
賀屋のCIAとの関係は、1968年にピークを迎えた。賀屋は、選挙戦を自民党に有利なものにするCIAの秘密作戦で中軸の役割を果した。
―― 以上が、ワイナー記者の暴露本のハイライト部分である。
CIAの機密文書の解禁で、岸信介がCIAのエージェントであったことは明らかになっていたが、これほど深い関係だとは知らなかった。
..
http://www.yamamotomasaki.com/archives/384
他にも一杯ありそうです。
安部晋が「米議会」で非難を浴びるとシュンとなって、「慰安婦への謝罪」
を口にする事になったのも無理はない。
岸も本来なら「A級戦犯」だが、戦前から在日米大使と「ゴルフ」等していて親密だったという。「鬼畜米英」の戦争スローガンの下、戦闘させられた兵士にお詫びの仕様がないね。
戦後自分はさっさと免罪され、アメリカ様から資金をもらい、首相にまでなりましたとさ。
アメリカ様〜〜〜〜〜!!!
・・パーソンズは戦前に東京のアメリカ大使館に駐在し、戦後また在東京の大使館勤務となって、最終的には国務省の極東担当次官補になりました。
引退後に自伝を書いています。
その自伝では、岸信介についてかなり触れています。
【元戦犯(戦犯容疑とは書いていない)の岸は、50年代に在東京大使館の我々の働きかけで傘下に納まり・・
自民党総裁になった後に、岸はアメリカの信頼できる協力者となった】と証言しています。・・
この自伝とは別にパーソンズがロバートフィアリーと言う元国務省職員に送った手紙では、
岸を【傘下に納めた】のは、1954年だったと書いています。
(どら・・首相就任は57年)
○さんか 1 【傘下】
【勢力のある人物や組織に属して】その支配・影響・庇護などを受ける立場にあること。翼下。
*********
★・・
⑩ 1957年11月、岸は「自由民主党」の名の下、保守勢力を糾合した。
自民党の指導者として岸は、国会に議席を持つ人間をリクルートし、彼の配下に入れる工作を、CIAに許可した。
⑪ 政権トップに登り詰める中で岸は、安保条約の改定をアメリカ側に約束した。岸との連絡役のCIAのケース・オフィサー、クライド・マカヴォイは、戦後日本の外交についてレポートすることができた。
⑫ 1957年2月、岸が日本の首相になる日、国会で安保条約にかかわる死活的に重要な手続きが行われる予定だった。
これについて、マカヴォイは、こう証言した。「岸とわたしはその日のクーデターを流産させた」と。マカヴォイはさらにこう語った。「アメリカと日本は、合意に向かって動いていた。これを日本共産党は特別な脅威を感づいた。・・
⑬ 1957年6月、岸はアメリカを訪問、ヤンキースタジアムで始球式を行い、白人専用のゴルフ場でゴルフをした。
岸は新しい日本大使に決まっていた、マッカーサー将軍の甥、ダグラス・マッカーサー2世に、もしアメリカが権力基盤強化の手助けをしてくれれば、日米安保条約は国会で成立するだろうし、高まる左翼の潮流も取り除くことができると語りかけた。
【岸は、一連の内密の支払いではなく、CIAによる財政的支援の恒久的な財源を求めた(Kishi wanted a permanent source of financial support from the CIA rather than a series of surreptitious payments.)。】
⑭ アイゼンハワー大統領は自民党の有力者へのCIAの金の支払いを承認した。CIAの役割を知らない政治家は、アメリカの大企業からの金だと思い込まされた。CIAの金はすくなくとも15年間、4代の大統領にわたって続いた。
⑮ 【岸信介とともに、戦時内閣で大蔵大臣を務めた元戦犯の賀屋も釈放され、国会議員として復活した前後に、CIAによってリクルートされた。】
賀屋のCIAとの関係は、1968年にピークを迎えた。賀屋は、選挙戦を自民党に有利なものにするCIAの秘密作戦で中軸の役割を果した。
―― 以上が、ワイナー記者の暴露本のハイライト部分である。
CIAの機密文書の解禁で、岸信介がCIAのエージェントであったことは明らかになっていたが、これほど深い関係だとは知らなかった。
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http://www.yamamotomasaki.com/archives/384
他にも一杯ありそうです。
安部晋が「米議会」で非難を浴びるとシュンとなって、「慰安婦への謝罪」
を口にする事になったのも無理はない。
岸も本来なら「A級戦犯」だが、戦前から在日米大使と「ゴルフ」等していて親密だったという。「鬼畜米英」の戦争スローガンの下、戦闘させられた兵士にお詫びの仕様がないね。
戦後自分はさっさと免罪され、アメリカ様から資金をもらい、首相にまでなりましたとさ。
アメリカ様〜〜〜〜〜!!!
これは メッセージ 27457 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.