南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち
投稿者: nukabosi 投稿日時: 2012/03/04 22:08 投稿番号: [27370 / 29399]
「山田支隊山砲兵第十九連隊第三大隊
黒須忠信上等兵の陣中日誌」
(十二月十六日)午後一時、我が段列より二十名は残兵掃湯(掃蕩)の目的にて馬風(幕府)山方面に向かう。二、三日前捕慮(捕虜)せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を持って射殺す。その后銃剣にて思う存分に突き刺す。自分もこの時ばが(か)りと憎き支那兵を三十人も突き殺したことであろう。
山となっている死人の上をあがって突き刺す気持ちは、鬼お(を)もひひ(し)がん勇気が出て力いっぱい突き刺したり。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた。こんなことは今まで中にない珍しい出来事であった。
帰りし時は午後八時となり、腕は相当つかれていた。
(「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」「南京事件」岩波書店)
「上海派遣軍司令部野戦郵便長
佐々木元勝の日記」
十二月十六日−
……新局舎の前には、軍帽を被った支那兵(士官)が脚から腹のほうを焼かれ、まだ、燃えている。壊れた煉瓦の上では、少し前殺されたらしい中老の死体が、口と鼻から血を出して倒れている。・・・・・・麒麟門で敗残兵との一戦では、馬群の弾薬集積所で五名の兵が、武装解除した二百人を後手に縛り、昼の一時頃から一人づつ銃剣で突刺した。・・・・・・夕方頃、自分で通った時には二百人は既に埋められ、一本の墓標が立てられてあった。
(中略)
・・・・・・碼頭の局に行った運転手の兵等が、だいぶ遅くなってからドヤドヤ帰ってきたが、碼頭で二千名の俘虜を銃殺したという話。手を縛り、河に追い込み銃で撃ち殺す。逃げようとするのは機関銃でやる。三人四人づつ追い立て、刺しても斬ってもご自由というわけで、運転手の兵も十五名は撃ったという。
(「証言による「南京戦史」(9)
「天皇の軍隊と南京事件」青木書店)
これは メッセージ 1 (yuu*ou*eiwa さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/27370.html