証言の続き 次々に殺されて
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2003/07/31 23:03 投稿番号: [2714 / 29399]
前の「続き」投稿の「李
玉粉」さんが、別の「朝鮮人軍隊慰安婦」(1992年)の中で、次のような証言もしています。
私はいま、ただ反省しない日本に対する怒りと憎しみで生きています。
日本軍にたたかれて死んだ娘。餓死した娘。梅毒に冒され、捨てられて、死んでいった娘。
その友達にそっとご飯を持っていって、見つかってたたき殺された娘。
日本軍に銃で撃たれて死んだ娘。
洞窟に入れられ爆弾で殺された、たくさんの娘。日本刀で切られた娘。獣と化した軍人に驚愕して自殺した幼い娘。
恐怖と、うっぷんと運命の過酷さに気が違った娘。
以下は、「半月城通信」より『フィリピン人慰安婦裁判」について
*また、フィリピンの慰安婦については、あの「秦教授」でさえ、「何があってもおかしくない」と記述している。
「44年秋から約一年、フィリッピン全土は戦火の嵐に席巻された。送り
込まれた日本軍60万のうち50万人が戦死し、100万人前後の現地住民が
死んだとされる惨烈な戦場で、何が起きたとしても否定のしようがない。
****彼女たちの申し立ての多くは事実を反映していると想像するが、逆に傍証
のために死者たちを呼び戻す法もない」
私(半月城)は秦教授を強制連行「なし派」であると何となく想像していただけに、
上の論文は意外でした。それはさておき、同教授はその論文にある「何が起き
たとしても」という一節の中味を次のように記しています。
「ヘンソンを含む21人の元慰安婦の証言(『フィリッピンの日本軍「慰
安婦」』明石書店)を見ると、彼女たちの身の上話は、ヘンソンと大同小異で、
横田雄一弁護士の解説では他地域に比べて『被害者と軍との間には民間業者な
どが介在する余地はまったくなかった。
軍の移動中における偶然の遭遇、計画
的と思われる女性の自宅への襲撃、作戦行動中の強制連行など、軍の末端組織
が・・・有無をいわせず暴力的に女性を(駐屯地へ)拉致』しているのが特徴
とされる。
21人のなかには、フク団だけでなく米軍とつながる抗日ゲリラとの関連
を示唆する女性が6人いる。対日協力派を巻き込んでのゲリラ討伐や内偵に
「便乗」する形での虐待やレイプが多かったらしいと推察できるが、それだけ
ではなさそうだ。
南方の占領地域では、フィリッピンの第14軍は軍紀が乱れているとの定
評があった。42年5月2日の陸軍省会議で、大山法務局長が「南方軍の犯罪
件数237件、支那事変に比し少なし。第14軍には強姦多し。女が日本人向
きなるを以てなり・・・厳重な取締で激減せり」と報告しているが、8月12
日の会議では、『南方の犯罪610件、強姦罪多し』(金原日誌)とあり、効
果があがっていないことを自認している」
↓裁判の「横田弁護士」によると、
「日本軍占領中、マニラには下士官・兵士用の「慰安所」17カ所(「慰
安婦」1064名)、将校用クラブ4カ所(「慰安婦」119名以上)があっ
たとの資料が存する。
・・・・
この種のいわば公的な「慰安所」のほかにおよそ日本軍の駐屯している各
地で女性が暴力的に拉致され、監禁され、性的奴隷とされている。
そもそも
「慰安所」制度設立の理由の一つは治安の維持・住民感情離反の防止にあった。
右の制度の趣旨に反する行為が激発した理由について具体例に則して以下述べ
てみたい。
日本軍は開戦初期のパナイ島攻略の際、イロイロのほかロハス市およびア
ンティケ州サンホセにもほとんど同時に上陸している。ところが、「正規」の
「慰安所」はイロイロ市にか設けられず、ロハス、アンティケ、イロイロ州郡
部などに展開する諸部隊はそれぞれの駐屯地に****自前の「慰安所」を設けた。
こうしたことを必然としたのは以下の理由によるものと思われる。
すなわ
ち日本軍が設置した「慰安所」制度は女性に対する軍事・経済を含めた体制的
強制による継続的強姦の公然化であり、性差別・民族差別イデオロギーの公認
にほかならなかった。
当時の軍隊にとっては、「慰安所」が各地で部隊独自に女性を拉致・監禁
する口実になった。たとえば、イロイロ市に「慰安所」が公設されて、「慰
安」が公認されている以上、
***それ以外の駐屯地でそれぞれの「才覚」による
「慰安所」類似施設を設けてはいけない理由はないのではないか、というわけ
である」
・・・・
もし、ここの会議室に反「自虐史観」論者がいらっしゃいましたら、その
方
私はいま、ただ反省しない日本に対する怒りと憎しみで生きています。
日本軍にたたかれて死んだ娘。餓死した娘。梅毒に冒され、捨てられて、死んでいった娘。
その友達にそっとご飯を持っていって、見つかってたたき殺された娘。
日本軍に銃で撃たれて死んだ娘。
洞窟に入れられ爆弾で殺された、たくさんの娘。日本刀で切られた娘。獣と化した軍人に驚愕して自殺した幼い娘。
恐怖と、うっぷんと運命の過酷さに気が違った娘。
以下は、「半月城通信」より『フィリピン人慰安婦裁判」について
*また、フィリピンの慰安婦については、あの「秦教授」でさえ、「何があってもおかしくない」と記述している。
「44年秋から約一年、フィリッピン全土は戦火の嵐に席巻された。送り
込まれた日本軍60万のうち50万人が戦死し、100万人前後の現地住民が
死んだとされる惨烈な戦場で、何が起きたとしても否定のしようがない。
****彼女たちの申し立ての多くは事実を反映していると想像するが、逆に傍証
のために死者たちを呼び戻す法もない」
私(半月城)は秦教授を強制連行「なし派」であると何となく想像していただけに、
上の論文は意外でした。それはさておき、同教授はその論文にある「何が起き
たとしても」という一節の中味を次のように記しています。
「ヘンソンを含む21人の元慰安婦の証言(『フィリッピンの日本軍「慰
安婦」』明石書店)を見ると、彼女たちの身の上話は、ヘンソンと大同小異で、
横田雄一弁護士の解説では他地域に比べて『被害者と軍との間には民間業者な
どが介在する余地はまったくなかった。
軍の移動中における偶然の遭遇、計画
的と思われる女性の自宅への襲撃、作戦行動中の強制連行など、軍の末端組織
が・・・有無をいわせず暴力的に女性を(駐屯地へ)拉致』しているのが特徴
とされる。
21人のなかには、フク団だけでなく米軍とつながる抗日ゲリラとの関連
を示唆する女性が6人いる。対日協力派を巻き込んでのゲリラ討伐や内偵に
「便乗」する形での虐待やレイプが多かったらしいと推察できるが、それだけ
ではなさそうだ。
南方の占領地域では、フィリッピンの第14軍は軍紀が乱れているとの定
評があった。42年5月2日の陸軍省会議で、大山法務局長が「南方軍の犯罪
件数237件、支那事変に比し少なし。第14軍には強姦多し。女が日本人向
きなるを以てなり・・・厳重な取締で激減せり」と報告しているが、8月12
日の会議では、『南方の犯罪610件、強姦罪多し』(金原日誌)とあり、効
果があがっていないことを自認している」
↓裁判の「横田弁護士」によると、
「日本軍占領中、マニラには下士官・兵士用の「慰安所」17カ所(「慰
安婦」1064名)、将校用クラブ4カ所(「慰安婦」119名以上)があっ
たとの資料が存する。
・・・・
この種のいわば公的な「慰安所」のほかにおよそ日本軍の駐屯している各
地で女性が暴力的に拉致され、監禁され、性的奴隷とされている。
そもそも
「慰安所」制度設立の理由の一つは治安の維持・住民感情離反の防止にあった。
右の制度の趣旨に反する行為が激発した理由について具体例に則して以下述べ
てみたい。
日本軍は開戦初期のパナイ島攻略の際、イロイロのほかロハス市およびア
ンティケ州サンホセにもほとんど同時に上陸している。ところが、「正規」の
「慰安所」はイロイロ市にか設けられず、ロハス、アンティケ、イロイロ州郡
部などに展開する諸部隊はそれぞれの駐屯地に****自前の「慰安所」を設けた。
こうしたことを必然としたのは以下の理由によるものと思われる。
すなわ
ち日本軍が設置した「慰安所」制度は女性に対する軍事・経済を含めた体制的
強制による継続的強姦の公然化であり、性差別・民族差別イデオロギーの公認
にほかならなかった。
当時の軍隊にとっては、「慰安所」が各地で部隊独自に女性を拉致・監禁
する口実になった。たとえば、イロイロ市に「慰安所」が公設されて、「慰
安」が公認されている以上、
***それ以外の駐屯地でそれぞれの「才覚」による
「慰安所」類似施設を設けてはいけない理由はないのではないか、というわけ
である」
・・・・
もし、ここの会議室に反「自虐史観」論者がいらっしゃいましたら、その
方
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.