田舎者ikuyo_kuruyoへ 石原都知事の発言
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/26 09:31 投稿番号: [26974 / 29399]
>ともかく、日本人は悪い事をやったから謝罪せよ、...云々
まあ〜、田舎者のどん百姓が(自己責任)という日本語を知らなくても無理ないけどな〜:
↓
2005年9月5日の産経新聞より
- QUOTE -
「歴史に関する、ことのメリハリ」
八月が過ぎて靖国問題は旬が過ぎ沈静したかに見えるが、靖国が国際問題として蒸し返されるようになった切っ掛けのA級戦犯の合祀(ごうし)に関して、率直にいって私には納得しかねる点がある。というより私はA級戦犯の合祀には異議がある。
合祀の是非が論じられる時必ず、彼等を裁いた極東軍事法廷なるものの正当性が云々されるが、我々はそれにかまけて最も大切な問題を糊塗してしまったのではなかろうか。
それはあの国際裁判とは別に、この国にあの多くの犠牲をもたらした戦争遂行の責任を、一体誰と誰が問われるべきなのかということが、棚上げされてしまったとしかいいようない。
私は毎年何度か靖国に参拝しているがその度、念頭から私なりに何人か、のあの戦争の明らかな責任者を外して合掌している。
それはそうだろう、靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼等を無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である。死者の丁寧な鎮魂を民族の美風とするにしても、罪を問われるべき者たちの鎮魂は家族たちの仕事であって公に行われるべきものでありはしまい。
太平洋戦争に限っていえば、あの戦場における犠牲者の過半は餓死したという。そうした、兵站(へいたん)という戦争の原理を無視した戦を遂行した責任者の罪を一体誰が裁くべきなのか。それは国民自身に他なるまい。
(中略)
私は後年、あの裁判で終身刑をいい渡され後に復帰し、国会議員となり法務大臣も務めた賀屋興宣氏に私淑したが、賀屋氏が皮肉に「まあ人間の性としても、あの裁判は仕方なかったでしょうな。あれでもし日本が勝っていたりしたら、そりゃあもっと酷い裁判をやったに違いありませんよ」といっていたものだった。
がなお、あの裁判の非正当性にかまけて我々があの戦争の真の責任者について確かめることなしに過ぎてしまうなら、他国からいわれるまでもなく、我々はあの戦争という大きな体験を将来にかけてどう生かすことも出来はしまい。そしてそこにこそ、隣国たちは居丈高につけこんでくるのではないか。
あの裁判の最中に、件の開廷冒頭の陳述への配慮も踏まえ、瞬時にして数十万の非戦闘員を殺戮(さつりく)した原爆への罪悪感の相殺のために突然でっち上げられ法廷に持ち出された南京大虐殺なるものも、互いにまだ一級の歴史資料が現存する今、靖国に祭られる者の資格云々とともに我々自身の手で検証されるべきに違いないと思うのだが。
そうせぬ限りこの国は、結局何でもあり、無責任ナアナアの風潮に押し流され、周りからつけこまれるまま衰微の道をたどりかねない。
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まあ〜、田舎者のどん百姓が(自己責任)という日本語を知らなくても無理ないけどな〜:
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2005年9月5日の産経新聞より
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「歴史に関する、ことのメリハリ」
八月が過ぎて靖国問題は旬が過ぎ沈静したかに見えるが、靖国が国際問題として蒸し返されるようになった切っ掛けのA級戦犯の合祀(ごうし)に関して、率直にいって私には納得しかねる点がある。というより私はA級戦犯の合祀には異議がある。
合祀の是非が論じられる時必ず、彼等を裁いた極東軍事法廷なるものの正当性が云々されるが、我々はそれにかまけて最も大切な問題を糊塗してしまったのではなかろうか。
それはあの国際裁判とは別に、この国にあの多くの犠牲をもたらした戦争遂行の責任を、一体誰と誰が問われるべきなのかということが、棚上げされてしまったとしかいいようない。
私は毎年何度か靖国に参拝しているがその度、念頭から私なりに何人か、のあの戦争の明らかな責任者を外して合掌している。
それはそうだろう、靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼等を無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である。死者の丁寧な鎮魂を民族の美風とするにしても、罪を問われるべき者たちの鎮魂は家族たちの仕事であって公に行われるべきものでありはしまい。
太平洋戦争に限っていえば、あの戦場における犠牲者の過半は餓死したという。そうした、兵站(へいたん)という戦争の原理を無視した戦を遂行した責任者の罪を一体誰が裁くべきなのか。それは国民自身に他なるまい。
(中略)
私は後年、あの裁判で終身刑をいい渡され後に復帰し、国会議員となり法務大臣も務めた賀屋興宣氏に私淑したが、賀屋氏が皮肉に「まあ人間の性としても、あの裁判は仕方なかったでしょうな。あれでもし日本が勝っていたりしたら、そりゃあもっと酷い裁判をやったに違いありませんよ」といっていたものだった。
がなお、あの裁判の非正当性にかまけて我々があの戦争の真の責任者について確かめることなしに過ぎてしまうなら、他国からいわれるまでもなく、我々はあの戦争という大きな体験を将来にかけてどう生かすことも出来はしまい。そしてそこにこそ、隣国たちは居丈高につけこんでくるのではないか。
あの裁判の最中に、件の開廷冒頭の陳述への配慮も踏まえ、瞬時にして数十万の非戦闘員を殺戮(さつりく)した原爆への罪悪感の相殺のために突然でっち上げられ法廷に持ち出された南京大虐殺なるものも、互いにまだ一級の歴史資料が現存する今、靖国に祭られる者の資格云々とともに我々自身の手で検証されるべきに違いないと思うのだが。
そうせぬ限りこの国は、結局何でもあり、無責任ナアナアの風潮に押し流され、周りからつけこまれるまま衰微の道をたどりかねない。
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これは メッセージ 26971 (konoyo_anoyo さん)への返信です.