南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 宅急便のunko先生へ 2.28事件

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/08/30 16:08 投稿番号: [26057 / 29399]
君の親父は非国民以下だろう、残念だね、嘘吐く君。

三年間も続いた殺戮をなかったなどと、嘘吐き君。

翌3月1日、事件は全土に波及、大都市のみならず地方でも騒動が起こり、市民が警察局を襲撃して外省人を殴打し国民党政権への不満をぶちまけた。軍、憲兵、警察は発砲して事態の収拾に努めたが、ますます悪化していった。台北市では「二・二八事件処理委員会」が設置され、陳儀行政長官に承認された。

3月2日、「二・二八事件処理委員会」が召集され、台北中山堂で民間人と行政長官側官吏5名での話合いが持たれた。

3月3日、「二・二八事件処理委員会」は「台湾省政の改革」を掲げた「二・二八事件処理委員会組織大綱」を採択した。行政主要ポストの半数に台湾人を起用する事、縣長・市長の選挙実施、自由の保証などがその要点である。

3月7日、「二・二八事件処理委員会」は混乱の中、合計42条からなる「処理大綱」を採択した。陳儀行政長官が台湾人の要求を受け入れるかのごとく見えたが…。

3月8日、中国から派遣された13,000名の応援部隊が高雄と基隆に到着、上陸の後、手当たり次第に台湾人に向けて発砲した。今まで台湾に居たのは接収部隊で装いも情けなかったが、応援部隊は米国の援助で装備された部隊であり、武器の無い台湾人が抵抗できるものではなかった。陳儀行政長官は応援部隊の到着の報を聞くと、「二・二八事件処理委員会」を不法組織として解散させた。前日までの交渉が嘘のような変わり様である。

台湾人の無差別な殺戮は高雄・基隆から始まり、約2週間で全島を鎮圧した。殺戮には機関銃が使用されたが、手のひらに針金を刺し、数人1組に繋いだり、麻袋に詰めて海や河に投げ捨てたり、また、処刑前に市中引き回しを行い、処刑後は数日間放置されたり、と今世紀に生きる近代文明の人間がなしえる業とは思えぬ野蛮きわまりない手口だった。

3月14日、警備総司令部により「粛奸工作」が開始される。「粛奸工作」の対象は、事件に直接関与していない者も多く含まれ、社会的指導者はもとより、危険人物と見られた民意代表、教授、弁護士、医者、作家、教師など、多くの知識人が逮捕された。意図的に日本教育を受けた知識人を根こそぎ粛清するかのようである。このため、台湾の知識人の存在は一時期の間空白となってしまう。

「二・二八事件」の関係者の逮捕は1949年になって緩和されるが、「要注意人物」の逮捕はまだ暫く続くのであった。国民党の発表によると、事件後1ヶ月に殺された台湾人は28,000に上る。これは50年の日本統治において日本軍によって殺戮された台湾人の数に匹敵する。また、有罪判決を受けて有期・無期の投獄に処せられた人数は計り知れないという。

国民党の台湾における「二・二八事件」に対する過剰な殺戮と鎮圧は国際社会の痛烈な批判を浴びた。国共内戦で劣勢にあり米国の援助が必要だった国民党は、米国の駐中国大使の抗議を受けると、蒋介石は米国の意向を無視できず、4月22日、陳儀を免職、5月1日に南京に召還した。余談になるが、陳儀は1950年に、中国共産党と通じたして反逆罪で逮捕、やがて処刑された。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)