軍経理将校の担当・・・慰安所設置
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2011/06/21 00:18 投稿番号: [25807 / 29399]
★2005年6月11日に古書店で、『初級作戦給養百題』というタイトルの図書を入手した。これは、
【陸軍の経理学校の教官が経理将校の教育のために執筆した演習教材集】である。
編者は清水一郎陸軍主計少佐。発行所は陸軍主計団記事発行部で、同部刊行の『陸軍主計団記事』第三七八号附録として刊行された。
表紙の右肩に「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」と書されている。なお、『陸軍主計団記事』は靖国偕行文庫には全巻揃っているそうである。
・・
この書物の第一章総説には、師団規模の部隊が作戦する際に、経理将校が担当しなければいけない作戦給養業務(「作戦経理勤務」)の内容が一五項目にわたって列挙されているが、その一五番目「其他」の項には、以下の小目が含まれる(強調は永井、以下同じ)。
1 酒保ノ開設
2 【慰安所ノ設置、】慰問団ノ招致、演芸会ノ開催
3 恤兵品ノ補給及分配
4 商人ノ監視 (p.14)
このことから、1941年の時点で、「慰安所ノ設置」は、「酒保ノ開設」と並んで経理将校が行わなければいけない「作戦給養業務」のひとつであったことがわかる。
・・・
さらに、この『初級作戦給養百題』には、以下のような状況のもとで、師団経理部の一員として、「次期作戦準備ノ為ノ経理勤務要領」の「考案ヲ附記スヘシ」という問題が収録されている(p.367)。
一、十月中旬師団ハ概ネ初期ノ目的ヲ達シM平地ヲ領有ス
二、茲ニ於テ師団ハ一部ヲ以テABCDニ位置セシメ主力ヲ以テM市及其周辺ニ駐止シ次期作戦ヲ準備セントス
つまり、この問題は、師団規模の部隊が戦闘を終え、所定の場所を占領したまま駐屯体制に入り、次の作戦に向けて準備をする場合に、師団経理部がとるべき措置を起案せよと、問うているのである。
この演習問題に対しては、総説に示された「経理勤務要領」に基づく
【模範解答】が掲載されているが、それには以下のような措置が含まれているのである。
十一 其他
1 酒保ノ開設
2 出入商人ノ監視
3 【慰安所ノ設置】
4 恤兵品ノ補給及分配
(p.371)
1937年9月に野戦酒保の附属慰安施設として陸軍の編成のうちに姿をあらわした軍慰安所は、
その4年後の1941年には、給養を担当する経理将校のマニュアル中に、師団規模の部隊が占領地で駐屯体制に入った場合には、必ず設置しなければいけない施設として、酒保と肩をならべて記されるまでの存在となっていたのである。
このような状況となれば、後方業務遂行のためにも、経理将校は慰安所の業務についてそれなりの知識を有していなければ、その職責を果たせないことになるが、
その要請に応じるため、経理将校の養成課程においてそれに関する教育が行なわれていたことを示す元経理将校の貴重な証言がある。
【証言者は、戦後フジサンケイグループの総帥となる鹿内信隆】だが、
一九三八年に札幌の歩兵第二五聯隊に入営した鹿内は、幹部候補生の試験に合格し、予備の経理将校になるため、陸軍経理学校に入校した。
さらに陸軍会計監督官となる教育を受け一九四一年に卒業した。
鹿内は、元日経連会長櫻田武との対談の中で、その経理学校で「慰安所の開設」について次のような教育を受けたという。
鹿内 (略)それから、これなんかも軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地へ行きますとピー屋が…。
櫻田 そう、慰安所の開設。
鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの、〝持ち時間〟が、将校は何分、下士官は何分……といったことまで決めなければいけない(笑) 。
【こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。】
(櫻田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』上巻(サンケイ出版、一九八三年)四〇〜四一頁。)
もちろん「ピー屋設置要綱」は隠語であって、正しくは「慰安所設置要綱」であったにちがいない。
鹿内の証言は、一九四一年には陸軍経理学校で経理将校およびその候補生に対して慰安所設置業務についての教育が行なわれ、そのためのマニュアルができていたことを明らかにしてくれている。
・・慰安所が軍の後方施設であったことを如実に物語る証言といえよう。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html
【陸軍の経理学校の教官が経理将校の教育のために執筆した演習教材集】である。
編者は清水一郎陸軍主計少佐。発行所は陸軍主計団記事発行部で、同部刊行の『陸軍主計団記事』第三七八号附録として刊行された。
表紙の右肩に「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」と書されている。なお、『陸軍主計団記事』は靖国偕行文庫には全巻揃っているそうである。
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この書物の第一章総説には、師団規模の部隊が作戦する際に、経理将校が担当しなければいけない作戦給養業務(「作戦経理勤務」)の内容が一五項目にわたって列挙されているが、その一五番目「其他」の項には、以下の小目が含まれる(強調は永井、以下同じ)。
1 酒保ノ開設
2 【慰安所ノ設置、】慰問団ノ招致、演芸会ノ開催
3 恤兵品ノ補給及分配
4 商人ノ監視 (p.14)
このことから、1941年の時点で、「慰安所ノ設置」は、「酒保ノ開設」と並んで経理将校が行わなければいけない「作戦給養業務」のひとつであったことがわかる。
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さらに、この『初級作戦給養百題』には、以下のような状況のもとで、師団経理部の一員として、「次期作戦準備ノ為ノ経理勤務要領」の「考案ヲ附記スヘシ」という問題が収録されている(p.367)。
一、十月中旬師団ハ概ネ初期ノ目的ヲ達シM平地ヲ領有ス
二、茲ニ於テ師団ハ一部ヲ以テABCDニ位置セシメ主力ヲ以テM市及其周辺ニ駐止シ次期作戦ヲ準備セントス
つまり、この問題は、師団規模の部隊が戦闘を終え、所定の場所を占領したまま駐屯体制に入り、次の作戦に向けて準備をする場合に、師団経理部がとるべき措置を起案せよと、問うているのである。
この演習問題に対しては、総説に示された「経理勤務要領」に基づく
【模範解答】が掲載されているが、それには以下のような措置が含まれているのである。
十一 其他
1 酒保ノ開設
2 出入商人ノ監視
3 【慰安所ノ設置】
4 恤兵品ノ補給及分配
(p.371)
1937年9月に野戦酒保の附属慰安施設として陸軍の編成のうちに姿をあらわした軍慰安所は、
その4年後の1941年には、給養を担当する経理将校のマニュアル中に、師団規模の部隊が占領地で駐屯体制に入った場合には、必ず設置しなければいけない施設として、酒保と肩をならべて記されるまでの存在となっていたのである。
このような状況となれば、後方業務遂行のためにも、経理将校は慰安所の業務についてそれなりの知識を有していなければ、その職責を果たせないことになるが、
その要請に応じるため、経理将校の養成課程においてそれに関する教育が行なわれていたことを示す元経理将校の貴重な証言がある。
【証言者は、戦後フジサンケイグループの総帥となる鹿内信隆】だが、
一九三八年に札幌の歩兵第二五聯隊に入営した鹿内は、幹部候補生の試験に合格し、予備の経理将校になるため、陸軍経理学校に入校した。
さらに陸軍会計監督官となる教育を受け一九四一年に卒業した。
鹿内は、元日経連会長櫻田武との対談の中で、その経理学校で「慰安所の開設」について次のような教育を受けたという。
鹿内 (略)それから、これなんかも軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地へ行きますとピー屋が…。
櫻田 そう、慰安所の開設。
鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの、〝持ち時間〟が、将校は何分、下士官は何分……といったことまで決めなければいけない(笑) 。
【こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。】
(櫻田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』上巻(サンケイ出版、一九八三年)四〇〜四一頁。)
もちろん「ピー屋設置要綱」は隠語であって、正しくは「慰安所設置要綱」であったにちがいない。
鹿内の証言は、一九四一年には陸軍経理学校で経理将校およびその候補生に対して慰安所設置業務についての教育が行なわれ、そのためのマニュアルができていたことを明らかにしてくれている。
・・慰安所が軍の後方施設であったことを如実に物語る証言といえよう。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html