ウソツキ古本屋 −国際連盟脱退
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/01/20 10:55 投稿番号: [24307 / 29399]
>>・日本は満州国をでっち上げた
>↑国際連盟も、独立国ではなく、連盟管理の下に置く国として認めた。
相変わらず、嘘つきだね〜ぇ、古本屋さんって!
↓
wikipedia参照:
国際連盟:
日本(大日本帝国)は脱退まで常任理事国であり、国際連盟事務局次長には新渡戸稲造が選ばれるなど、日本は中核的役割を担っていた。
日本はヨーロッパから離れていたためにヨーロッパ諸国間の紛争に比較的利害を持っていなかったことから、概ねヨーロッパの紛争(ギリシア等)に対しては公平な第三者として調停を行うことができたと評価される。ちなみに国際連盟に日本が加入した当時の内閣総理大臣は原敬であった。
柳条湖事件を契機に日本が満州全土を制圧すると(満州事変)、清朝最後の皇帝・溥儀を執政にする満州国を建国した。
これに抗議する中国(中華民国)は国連(国際連盟)に提訴。
国連(国際連盟)ではイギリスの第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットンを団長とするリットン調査団を派遣する。リットンは日本の満州における特殊権益は認めたが、満州事変は正当防衛には当たらず、満州を中国に返した上で日本を含めた外国人顧問の指導下で自治政府を樹立するように報告書に記した。「リットン報告書」である。
1933年2月24日、国際連盟特別総会においてリットン報告を採択するか否かが審議され、賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム=タイ)の全会一致[2]で可決された。可決直後、席上で松岡洋右日本全権は「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」と表明し、その場を退席した。
その後、同年3月27日、日本は正式に国際連盟に脱退を表明し、同時に脱退に関する詔書が発布された(なお、脱退の正式発効は、2年後の1935年3月27日)。以後、日本は日独伊三国軍事同盟や日ソ中立条約などを結び、第二次世界大戦への道を進むことになる。
これは メッセージ 24303 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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