快楽としての戦争
投稿者: shoujouji 投稿日時: 2010/11/11 18:15 投稿番号: [23991 / 29399]
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1324.html
《敵兵捕獲しては穴を掘って銃殺する事何人と数えきれない程です。……戦火の合間には
町、或は民家へ巡視警備に出動致し、食料の徴発其の他支那人の女美人とも接し本当に
楽しい事も有りました。本当に支那の婦女は美しいです。素敵!尚まだ色々と有りますが
此の位にして置きます》
書いたのは昭和12年8月に中国に出征した元陸軍兵長。大正2(1913)年生まれだから、
戦記発刊時は71歳である。その老人が半世紀近い昔を振り返り、思わず「素敵!」と
身をよじらせるほどの快楽が日中戦争にはあった。紛れもなくこの文はそう告げている。
戦争は悲惨だ。だから絶対してはならないと人は言う。だが、もし戦争が悲惨なだけなら、
とうの昔に世界から戦争などなくなっているはずだ。アウシュビッツやヒロシマ、ナガサキ
という究極の悲惨を経験してもなお、人間が戦争を続けているのは、戦争が我々を陶然と
させてやまない快楽の要素をも併せ持っているからではないか。
思えば南京戦参加兵士の聞き取りを続ける大阪の松岡環さん(60)も「楽しかった
というおじいさんは結構いますよ。つらかったのと楽しかったのと五分五分やなあって」
と言っていた。92歳になる福岡の元戦車隊員も、「面白いことありましたか」との問いに、
「ありましたなあ。当時は口にしてはいけないこととか。食料徴発に行って姑娘(クーニャン)
を追いかけたり……」と、含み笑いをしながら語っていた。
戦争の悲惨さを強調する反戦は、悲惨さを実感できる体験者が厚く社会に存在する間は
有効だろう。だが体験者の多くが世を去り、悲惨さの実感が社会から薄れた今、悲惨さだけに
寄りかかった反戦の訴えはもう、人々の胸に響かなくなりつつあるのではないか。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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