中国殺戮の歴史
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/23 06:38 投稿番号: [23748 / 29399]
1850年〜1864年、太平天国の乱
1850年から14年間に渡って南支那で繰り広げられたこの乱は
世界史上最大規模の内戦である。
死亡者数は推定で5000万人、支那全人口の5分の1とも言われる。
太平天国軍は従来の農民反乱と違い、新興宗教団体だった。
キリスト教プロテスタント系と道教的な土俗信仰が
結合したカルト集団である。
教祖の洪秀全(こうしゅうぜん)は科挙試験に4回落ちた
読書人(知識階層)だった。
失意のうちに広東に帰郷し、病中に見た幻覚を”天からの啓示”と
受け取って拝上帝会を作ったという。
自分をキリストの弟と称して、
天父=神の意向を伝えるという形で信仰を広げた。
1850年、広西省で蜂起した洪秀全は、みずから「天王」に即位して、
”太平天国”の樹立を目指した。
1853年に南京を占領、「天京」と改めて都とし、みごと”天国”を樹立した。
その兵力は百万とも号された。
これはまた北京の満州人王朝に対抗する
支那人(漢人)政権=興漢でもあった。
その後、精鋭を集めて北伐軍を作り、黄河を渡って天津付近まで迫ったが、
1855年、北伐軍は各個撃破され敗退、
太平天国自体も守勢に向かうことになった。
なお、太平天国は内部分裂を重ね、
揚子江以南を支配していたが清朝の征伐軍に敗れ、
1864年、洪秀全は毒を仰いで自殺、南京も陥落した。
太平天国の乱に際しては、各地の会党、教党、匪団も蜂起した。
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