Re: 真実の探求
投稿者: unhoo 投稿日時: 2010/10/23 02:05 投稿番号: [23746 / 29399]
太平天国軍は1853年に南京を占領して天京と改名し、国都にした。その際にも城内の儒教徒を虐殺したが、1864年清国軍が天京を攻めおとしたときには大虐殺がおこなわれた。民屋は一軒残らず破壊された。老人、子供は皆殺しにされ、働ける男は一部分を奴隷として連行したほかは皆殺しにし、女は性奴隷になり得る者は連行し、残りは皆殺しにした。何のための皆殺し、民屋の破壊かというと、財物を兵士たちに拾わせるためである。攻城軍も守軍も城内の平民も漢族を主体とした支那人であり、この大虐殺を記載した者も支那人であるから、疑問がない。
この大虐殺事件を日本語ウイキペディアの「太平天国の乱」の項には非常に控えに紹介している。
「1864年(同治三年)7月19日、湘軍の攻撃により天京が陥落し太平天国の
乱は終結した。城外からトンネルを掘り進め兵士を突入させたという。
この戦術は太平天国の得意技であった。城内にはすでに厭戦ムードが満
ちていたが、蘇州失陥の際、太平天国の兵士8000人が皆殺しにあったこ
とを知っていたため、最後まで投降できず戦い続けた。また占領後多く
の老人や女子供もいたが20万人が虐殺されたという。」
このときの死者の死体は処理されずに野ざらしとなり、やがて土砂にうずまった。
これは メッセージ 23744 (unhoo さん)への返信です.
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