南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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無知丸出し♪ww

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2010/09/28 09:30 投稿番号: [23051 / 29399]
>それは、属国でも柵封国でもないということを言っている。

  当然だよねぇ〜♪
  清国が直接、領有しているのだから♪ww
  自治権が認められているにすぎないわな♪ww

>実際には、復権をたくらむ柵封された王が統べる土地であったのが台湾。

  1683年より前の話ですな♪ww
  清国は、反攻拠点とならないよう台湾を領有したんですねぇ〜♪ww

  よって、反攻の意思がない先住民については、積極的に教化する意思がなかったんですねぇ〜♪ww

>清国からすれば、満族の関わりのない処で台湾の漢族王朝が勝手にしたことと言いたかったのだろう。

  無知だねぇ〜♪
  1871年の台湾には、漢族王朝は存在しないよ♪ww

  しかも、事件を起こしたのは先住民だからねぇ〜♪ww
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【台湾問題の再燃】

  ところが1873年3月8日今度は本当の日本人の小田県民4名が遭難、台湾南部に漂着したところ、先住民から船と積み荷を掠奪されたが、かろうじて救出されるという事件が起こった。

  この1873年と言うのは明治6年で西郷の征韓論でもめている時期であった。江戸時代の通信使(信義を通ずると言う意味であつた)にならい、国交再開を申し入れたが、朝鮮現地当局者が書式が違うと言って受け取りを拒否したことからけしからんと言うことになった。(前述)

  しかし西郷の実際の腹は、当時ロシアが日本・ロシア両国民雑居の地とされていた樺太を盛んにあらし始め、この強大なロシアがもし朝鮮に入り込めば日本の安全に重大な危険を及ぼす事を恐れ、そのためには朝鮮との国交正常化を急ぐ必要ありと考えていたのであった。

  しかし、岩倉−大久保ラインの謀略で、西郷も嫌気がさして辞表願いをたたきつけて薩摩に帰ってしまう。本もと征韓論は大久保の政争の具であったのである。明治6年の政変と呼ばれるものである。

  丁度この時期に小田県民の遭難が起きたのである。新たに力を得た岩倉−大久保ラインの政府は、「台湾蕃地処分要略」を閣議決定した。この第1条は討蕃であり、明治政府の海外への武力行使方針の最初である。外交的手段よりも軍事優先を取ったのである。清国と戦争する意図はなく、出兵の表面的理由は「討蕃・撫民」だが、実際は「台湾の一部を日本に併す」ことであった。

  各国外交団も問題視したが、1874年(M.7.5)政府は兵3000余名という遠征軍を送った。作家司馬遼太郎は国民にも知らせず夜盗のようにこっそり出て行くとは....近代国家としてあり得ざる事と断じている。

  毛利敏彦氏「台湾出兵」によると、台湾出兵とは明治6年政変の誤算に危機感を抱いた大久保利通が、自らの保身の為に西郷従道や大熊重信とくんで、台湾先住民地域を獲得しようと強引に推進したした暴挙(官製倭寇!)だったと言うべきだろう、と述べている。
http://homepage2.nifty.com/w-hydroplus/info8a.htm
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