馬鹿は何でも結びつけたがる
投稿者: sugotyon 投稿日時: 2010/09/23 02:31 投稿番号: [22810 / 29399]
>まあ、彼の場合は急ぎすぎたんだね、自分の出世のこともあったから
典型だな。
1933年には大将になって、1935年には予備役。
予備役召集、支那通が理由。
柳川平助、田代皖一郎、多田駿、川越大使、支那通を揃えていた。
どこぞのHPに、上海派遣軍の将軍のその後を、出世していないとあったからか。
軍官僚は、幼年学校、士官学校、陸大、の年次、席順で出世は、概ね決定されていた。
朝香宮鳩彦中将は、久邇宮朝彦親王の第八王子で、王妃は允子内親王(1891-1933)。
比較される、稔彦王は久邇宮朝彦親王の第九王子だが、王妃の聰子内親王は存命。
允子内親王が存命であれば、違っていたであろう事は、自明の理。
これは メッセージ 22809 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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