南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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三笠宮殿下証言続き

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2010/09/06 13:22 投稿番号: [22096 / 29399]
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  三笠宮崇仁親王(1915年12月2日19時35分生まれ)は、皇族にして、歴史学者でもあられ、東京芸術大学名誉教授の称号を持ち、実際に教壇にも立っていた。

太平洋戦争開戦後の昭和18年に支那派遣軍総司令部参謀として、一年間、中国に赴任。

南京をたつ前に総司令部で将校教育をするよういわれ「支那事変に対する日本人の内省」と いう文書を残しており、後に、NHKラジオなどのインタビューに答え、中国共産党軍のモラルの高さを強調。

逆に日本軍が婦女暴行を繰り返した「最悪の軍隊」であることを述べている。

中国から帰国後、対中、対米英戦争の終結を模索し、津野田少佐らと東条内閣打倒クーデター計画に参画、ところが、その計画が、東条暗殺、主戦派数百名を粛清するという、非常に過激なものだったため、この計画は三笠宮自身の手によって当局に通報され、頓挫する。

後に、「東条一派が首脳を占めている間は、和平はできないと参謀(津野田)は考え出したわけです。そうはいっていたけれども、テロを考えようとは、私も思わなかったし、私もぼんやりしていたんで、まさか大本営の参謀ともあろうものが、東条さんにテロをやろうとは思わなかった」と、殿下ご本人が語っている。

なお、このクーデター未遂事件は、皇族が関与していることから、ほとんど不問に付されて終結した。

もし、このクーデターが成功していれば、戦争の終結は早く、東京大空襲や広島、長崎などの犠牲者を出さずに済んだ可能性もあるが、大混乱に陥ってしまい、実際にどうなったかは、全く予測できなかったであろう。

つまり、三笠宮殿下の個性が「和合」と「愛情」だったため、つまり軟弱だったために、大切な戦争終結の機会を逸したとまでは言い切れない。

戦後は、民心の荒廃を憂い、レクリエーションのために、ダンスの普及に力を入れるなど、「和合」と「愛情」の個性がここでも発揮された。

また、三笠宮さまが、1998年11月に訪日した江沢民・中国国家主席(当時)を歓迎する宮中晩さん会の席上、日中戦争に関して「日本軍の暴行を今もなお深く恥じて気がとがめている。中国人民に謝罪したい」と語っていたと、中国で公刊された江沢民外遊録に記述されていることが明らかになった、との報道がありった。

それによると、三笠宮さまは同年11月26日夜、天皇、皇后両陛下の主催で開かれた宮中晩さん会で、「日本の中国侵略戦争中、旧陸軍の将校として南京に駐屯したことがある。日本軍の暴行を目の当たりにし、今もなお深く恥じて気がとがめている。中国人民に謝罪したい」との考えを江主席に伝えられたことが記述されている。

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