私たちを侮辱した「関釜裁判」第一審判決
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2010/04/24 23:51 投稿番号: [21517 / 29399]
通称「関釜裁判」第一審判決(H10.4.27、山口地裁)は、数ある慰安婦関連訴訟の中で原告の訴えを一部なりとも認めた唯一の画期的判決ということになっています。
もっとも、原告側が求めていた国による公式謝罪と賠償の支払いについては、他の慰安婦裁判と同様、すべて棄却されました。
原告側は自分たちの主張の根拠として、カイロ宣言やポツダム宣言、日本国憲法前文、果ては同第九条に至るまで、あらゆる“ねた”を総動員して法廷闘争に臨んだのですけれども、戦前のわが国にこれらを規定する法理が存在しなかったのですから、主張に法的根拠がないとして訴えを退けた地裁の判断は、ここでは妥当なものであったと考えます。
私が日本国民としてたいへん不快に感じ、かつ理論上もきわめて不条理と思ったのは、判決の次の箇所です。
<quote>
一般に、法の解釈原理として、あるいは条理として、先行法益侵害に基づく
その後の保護義務を法益侵害者に課すべきことが許容されており、右法理に
よると、帝国日本と同一性ある国家である被告国は、従軍慰安婦とされた女
性に対し、より以上の被害の増大をもたらさないよう配慮、保証すべき法的
作為義務があったのに、多年にわたって慰安婦らを放置し、その苦しみを倍
加させて新たな侵害を行った。
<unquote>
この部分に先行して地裁は、慰安婦制度のことを「徹底した女性差別、民族差別であり、女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるものであって、日本国憲法一三条の認める根幹的価値に関わる基本的人権の侵害であったとみられる」と、当時影も形もなかった日本国憲法の価値観を“遡及”させて、戦前の制度を断罪するという、およそ近代法治国家にあるまじき暴論を繰り広げています。
ただ、さすがにこれを賠償の直接的根拠とすることは躊躇したと見えて、「日本国憲法制定前の出来事につき、直ちに同憲法による現在の義務として賠償立法の義務を導き出すことはできない」と、一応否定的な結論を出してはいるのですが、それに代わって持ち出してきたのが上で引用したロジックなのです。
これを一言で言うと、慰安婦問題とは戦前の違法行為ではなく、現憲法制定後の人権侵害行為であって、現在の日本国には「慰安婦とされた女性に対し、より以上の被害の増大をもたらさないよう配慮、保証すべき法的作為義務があったのに、多年にわたって慰安婦らを放置し、その苦しみを倍加させて新たな侵害を行った」という驚くべきものです。
そして判決は、この法的作為義務は平成5年8月のいわゆる“河野談話”によって憲法上明確な賠償立法義務となったにも拘らず、合理的立法期間として認められる3年を経過しても国会は立法措置を講じなかった、よって原告1人に対し30万円の慰謝料(賠償金ではない)を払えと命じています。
つまり、「多年にわたって慰安婦らを放置し、その苦しみを倍加させて新たな侵害を行った」“犯人”は国会、すなわち主権者たるわれわれ国民だと決め付けているに等しい内容で、しかもその根拠が何らの法的規範性を持たない“河野談話”というのですから、こんな滅茶苦茶な判決はありません。
そもそも国会の立法行為については、「何を立法し、あるいは何を立法しないかは、もとより立法府の広範な裁量の下にある政治的事項」(最高裁判例)とされていることはこの裁判長も認識しているとおりです。
にも拘らず、国会決議でもなければ閣議決定でもなく、単なる一個人の見解に過ぎない“河野談話”を立法義務の根拠とし、その不作為をもって国民を断罪するという理屈は、三権分立の大原則を踏みにじり、民主主義を真っ向から否定するきわめて危険な発想です。
有権者を正当な根拠なく人権侵害者として侮辱するような判決は、断じて許すわけにはいきません。
だいたい慰安婦問題の経緯を振り返ってみれば、戦後曲がりなりにも平安に暮らしてきた“自称”元被害者のおばあさま方を根拠のない妄言で焚きつけて偽りの証言をさせ、勝算のまったくない法廷闘争にひっぱりこんで、無用の苦しみと恥辱を与えたのは、一部の反日マスメディアや“(自称)慰安婦支援団体”ではありませんか。
「(元被害者の)苦しみを倍加させて新たな侵害を行った」というのならば、それはまさにこの種の人々にこそ向けられるべき言葉です。
控訴審において広島高裁が、この「原告一部勝訴部分」を取り消し、原告側の他の請求もことごとく棄却したのは、当然中の当然と言えるでしょう。
your Steffi
もっとも、原告側が求めていた国による公式謝罪と賠償の支払いについては、他の慰安婦裁判と同様、すべて棄却されました。
原告側は自分たちの主張の根拠として、カイロ宣言やポツダム宣言、日本国憲法前文、果ては同第九条に至るまで、あらゆる“ねた”を総動員して法廷闘争に臨んだのですけれども、戦前のわが国にこれらを規定する法理が存在しなかったのですから、主張に法的根拠がないとして訴えを退けた地裁の判断は、ここでは妥当なものであったと考えます。
私が日本国民としてたいへん不快に感じ、かつ理論上もきわめて不条理と思ったのは、判決の次の箇所です。
<quote>
一般に、法の解釈原理として、あるいは条理として、先行法益侵害に基づく
その後の保護義務を法益侵害者に課すべきことが許容されており、右法理に
よると、帝国日本と同一性ある国家である被告国は、従軍慰安婦とされた女
性に対し、より以上の被害の増大をもたらさないよう配慮、保証すべき法的
作為義務があったのに、多年にわたって慰安婦らを放置し、その苦しみを倍
加させて新たな侵害を行った。
<unquote>
この部分に先行して地裁は、慰安婦制度のことを「徹底した女性差別、民族差別であり、女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるものであって、日本国憲法一三条の認める根幹的価値に関わる基本的人権の侵害であったとみられる」と、当時影も形もなかった日本国憲法の価値観を“遡及”させて、戦前の制度を断罪するという、およそ近代法治国家にあるまじき暴論を繰り広げています。
ただ、さすがにこれを賠償の直接的根拠とすることは躊躇したと見えて、「日本国憲法制定前の出来事につき、直ちに同憲法による現在の義務として賠償立法の義務を導き出すことはできない」と、一応否定的な結論を出してはいるのですが、それに代わって持ち出してきたのが上で引用したロジックなのです。
これを一言で言うと、慰安婦問題とは戦前の違法行為ではなく、現憲法制定後の人権侵害行為であって、現在の日本国には「慰安婦とされた女性に対し、より以上の被害の増大をもたらさないよう配慮、保証すべき法的作為義務があったのに、多年にわたって慰安婦らを放置し、その苦しみを倍加させて新たな侵害を行った」という驚くべきものです。
そして判決は、この法的作為義務は平成5年8月のいわゆる“河野談話”によって憲法上明確な賠償立法義務となったにも拘らず、合理的立法期間として認められる3年を経過しても国会は立法措置を講じなかった、よって原告1人に対し30万円の慰謝料(賠償金ではない)を払えと命じています。
つまり、「多年にわたって慰安婦らを放置し、その苦しみを倍加させて新たな侵害を行った」“犯人”は国会、すなわち主権者たるわれわれ国民だと決め付けているに等しい内容で、しかもその根拠が何らの法的規範性を持たない“河野談話”というのですから、こんな滅茶苦茶な判決はありません。
そもそも国会の立法行為については、「何を立法し、あるいは何を立法しないかは、もとより立法府の広範な裁量の下にある政治的事項」(最高裁判例)とされていることはこの裁判長も認識しているとおりです。
にも拘らず、国会決議でもなければ閣議決定でもなく、単なる一個人の見解に過ぎない“河野談話”を立法義務の根拠とし、その不作為をもって国民を断罪するという理屈は、三権分立の大原則を踏みにじり、民主主義を真っ向から否定するきわめて危険な発想です。
有権者を正当な根拠なく人権侵害者として侮辱するような判決は、断じて許すわけにはいきません。
だいたい慰安婦問題の経緯を振り返ってみれば、戦後曲がりなりにも平安に暮らしてきた“自称”元被害者のおばあさま方を根拠のない妄言で焚きつけて偽りの証言をさせ、勝算のまったくない法廷闘争にひっぱりこんで、無用の苦しみと恥辱を与えたのは、一部の反日マスメディアや“(自称)慰安婦支援団体”ではありませんか。
「(元被害者の)苦しみを倍加させて新たな侵害を行った」というのならば、それはまさにこの種の人々にこそ向けられるべき言葉です。
控訴審において広島高裁が、この「原告一部勝訴部分」を取り消し、原告側の他の請求もことごとく棄却したのは、当然中の当然と言えるでしょう。
your Steffi