Re: 朝鮮ではあくどく詐欺的な手段で・・
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2010/03/17 00:49 投稿番号: [21500 / 29399]
>朝鮮人女性は何万人、或いは20万人も連行されたというのに、台湾人女性は僅か数十人ぐらいで、百人を越えていない。どうも不可解ではないか。
海外で置き去りにされたり、死亡した女性は名乗り出られないし、生き残っていてもこんな恥辱は発言できない人が多いでしょう。
戦後日本は、先ず最初に【犯罪の証拠焼却】から始めています。
>朝鮮人女性が20万人強制連行されたという話の美酒に酔い痴れていたい人々には、わしのこの投稿が憎らしいだろうな。
20万人強制連行が美酒??
うんほさん、女性の悲嘆には想いが及ばない非情な爺さんだった訳ね。
軍人・国の為だと言い募り、少女達を虫ケラのように扱った↓
★8 未成年者の連行・使役
朝鮮・台湾からの未成年者の連行・使役についてみると、日本人
「慰安婦」は、おおむね満二一歳以上で、前歴も「売春婦」である
ことが通例であった。
これに対して、朝鮮人や台湾人の場合は、多
くが「売春婦」ではなく、年齢も二一歳未満の女性が半数以上であ
ったことは、証言や資料から明らかである。
台北市婦女救援社会福利事業基金会の調査によれば、「慰安婦」
とされた四八名のうち二四名が未成年だった(前掲『台湾地区慰安
婦訪問調査個別分析報告書』)。
外務省所蔵の公文書によれば、一九
四〇年に台湾から広東省欽県に連行された六名の台湾人女性は全員
一八歳以下で、最低年齢は一四歳だった
(台湾総督府外事部長「渡
支自由証明書等の取寄不能と認めらるヽ対岸地域への渡航者の取扱
に関する件」『資料集』一三四ー一三七頁)。
朝鮮人については、韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会の
ヒアリング記録によれば、一九名中一六名が二一歳未満だった(前
掲『証言ーー強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』参照)。
未成年
者が多数だったことは、漢口兵站司令部慰安係長だった山田清吉氏
の次のような簡潔な記述によっても裏付けられる。
「内地から来た妓はだいたい娼婦、芸妓、女給などの経歴のある
二十から二十七、八の妓が多かったのにくらべて、〔朝鮮〕半島か
ら来たものは前歴もなく、年齢も十八、九の若い妓が多かった。」(前
掲『武漢兵站』八六頁)
多くが、「売春婦」ではなく、しかも未成年者だったのである。
9 軍の深い関与
・・
二 台湾での「慰安婦」被害
1 台湾の「慰婦所」設置及び「慰安婦」徴集についての関わり
一九三七年、南方A作戦中止時の大軍の高雄での一時駐屯におい
て、当局が急ごしらえでの粗末な「慰安所」を設置した、という当
時の兵士の回顧談がある。
これによれば、女性は新竹、台中、台南、
高雄から多数の「商売女」が「急きょ半強制的に狩り集め」られた
「内地人・朝鮮人・台湾人」の女性であったという。
また、太平洋戦争末期の一九四四年、高雄付近の野戦病院に勤務
していた日本軍衛生兵によれば、週に一回「慰安婦」二〇〇名以上
の性病検査にあたったこと、
「慰安婦」は一人一日三〇人近くの兵
隊の相手をさせられていたという。
「慰安婦」は多くは朝鮮出身者
であり、その他中国人、台湾人もいたという。この他、将校クラス
の相手をする「慰安婦」が四〇ないし五〇名ほどいたという。
日中戦争期には、台湾での「慰安婦」徴集は、総督府中心であっ
たが、太平洋戦争以降台湾軍が中心となっていた。
一九三九(昭和
一四)年二月、海軍は陸軍と合同で海南島北部を足がかりとして占
領計画を立てたが、
この際、根拠地隊機関長中佐は、台湾総督府海
軍武官中佐宛「慰安婦」五〇名を海南島に進出させるよう要請して
いる。
右海軍占領後、台湾総督府海軍武官中佐からは、「特要員A
約二〇人、B約三〇人」計約五〇名の派遣予定を海軍宛知らせてい
る。
この「特要員」いう言葉がその後海軍では、「慰安婦」を称す
る言葉として普及したという。ちなみに、Aは准士官以上、Bは兵
員、工員相手とされた。
一九四〇(昭和一五)年、総督府は「慰安婦」六名を広東
省に送る渡航許可を出したという記録がある。
海外で置き去りにされたり、死亡した女性は名乗り出られないし、生き残っていてもこんな恥辱は発言できない人が多いでしょう。
戦後日本は、先ず最初に【犯罪の証拠焼却】から始めています。
>朝鮮人女性が20万人強制連行されたという話の美酒に酔い痴れていたい人々には、わしのこの投稿が憎らしいだろうな。
20万人強制連行が美酒??
うんほさん、女性の悲嘆には想いが及ばない非情な爺さんだった訳ね。
軍人・国の為だと言い募り、少女達を虫ケラのように扱った↓
★8 未成年者の連行・使役
朝鮮・台湾からの未成年者の連行・使役についてみると、日本人
「慰安婦」は、おおむね満二一歳以上で、前歴も「売春婦」である
ことが通例であった。
これに対して、朝鮮人や台湾人の場合は、多
くが「売春婦」ではなく、年齢も二一歳未満の女性が半数以上であ
ったことは、証言や資料から明らかである。
台北市婦女救援社会福利事業基金会の調査によれば、「慰安婦」
とされた四八名のうち二四名が未成年だった(前掲『台湾地区慰安
婦訪問調査個別分析報告書』)。
外務省所蔵の公文書によれば、一九
四〇年に台湾から広東省欽県に連行された六名の台湾人女性は全員
一八歳以下で、最低年齢は一四歳だった
(台湾総督府外事部長「渡
支自由証明書等の取寄不能と認めらるヽ対岸地域への渡航者の取扱
に関する件」『資料集』一三四ー一三七頁)。
朝鮮人については、韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会の
ヒアリング記録によれば、一九名中一六名が二一歳未満だった(前
掲『証言ーー強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』参照)。
未成年
者が多数だったことは、漢口兵站司令部慰安係長だった山田清吉氏
の次のような簡潔な記述によっても裏付けられる。
「内地から来た妓はだいたい娼婦、芸妓、女給などの経歴のある
二十から二十七、八の妓が多かったのにくらべて、〔朝鮮〕半島か
ら来たものは前歴もなく、年齢も十八、九の若い妓が多かった。」(前
掲『武漢兵站』八六頁)
多くが、「売春婦」ではなく、しかも未成年者だったのである。
9 軍の深い関与
・・
二 台湾での「慰安婦」被害
1 台湾の「慰婦所」設置及び「慰安婦」徴集についての関わり
一九三七年、南方A作戦中止時の大軍の高雄での一時駐屯におい
て、当局が急ごしらえでの粗末な「慰安所」を設置した、という当
時の兵士の回顧談がある。
これによれば、女性は新竹、台中、台南、
高雄から多数の「商売女」が「急きょ半強制的に狩り集め」られた
「内地人・朝鮮人・台湾人」の女性であったという。
また、太平洋戦争末期の一九四四年、高雄付近の野戦病院に勤務
していた日本軍衛生兵によれば、週に一回「慰安婦」二〇〇名以上
の性病検査にあたったこと、
「慰安婦」は一人一日三〇人近くの兵
隊の相手をさせられていたという。
「慰安婦」は多くは朝鮮出身者
であり、その他中国人、台湾人もいたという。この他、将校クラス
の相手をする「慰安婦」が四〇ないし五〇名ほどいたという。
日中戦争期には、台湾での「慰安婦」徴集は、総督府中心であっ
たが、太平洋戦争以降台湾軍が中心となっていた。
一九三九(昭和
一四)年二月、海軍は陸軍と合同で海南島北部を足がかりとして占
領計画を立てたが、
この際、根拠地隊機関長中佐は、台湾総督府海
軍武官中佐宛「慰安婦」五〇名を海南島に進出させるよう要請して
いる。
右海軍占領後、台湾総督府海軍武官中佐からは、「特要員A
約二〇人、B約三〇人」計約五〇名の派遣予定を海軍宛知らせてい
る。
この「特要員」いう言葉がその後海軍では、「慰安婦」を称す
る言葉として普及したという。ちなみに、Aは准士官以上、Bは兵
員、工員相手とされた。
一九四〇(昭和一五)年、総督府は「慰安婦」六名を広東
省に送る渡航許可を出したという記録がある。
これは メッセージ 21499 (unhoo さん)への返信です.