日本人従軍慰安婦
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/10/11 01:18 投稿番号: [21342 / 29399]
★日本人従軍慰安婦
同じく朝日85年の記事から。
▼85/08/19 東京朝刊 1 頁 1総面 T850819M01
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従軍慰安婦(天声人語)
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数日前の「8月15日」、千葉県館山市の「かにた婦人の村」(施設長、深津文雄)の丘で小さな儀式があった。従軍慰安婦と呼ばれた女性たちの鎮魂の集いだった
▼4、5人の若者が「鎮魂之碑」と書かれた木の柱をかつぎ、海のみえる丘を上った。車いすの城田すず子さん(仮名)が続き、さらに100人近い「かにた」の女性が続いた。いちどは狭斜の地に身をおいた人たちである。セミが鳴き、夕日をあびた絹雲が淡いさんご色に染まっていた
▼「兵隊さんや民間の戦没者は各地でまつられるけれど、中国、東南アジア、太平洋諸島で戦時中、性の提供をさせられたあげく死んで行った娘たちはまつられない。自分には今でも昔の仲間の姿が夢に浮かぶ」
▼特要隊と呼ばれる慰安婦だった城田さんがそう訴えたことがある。私は女の地獄を見た、と。深津さんは答える言葉がなかった。考えぬいたあげくの、第1の歩みがこの日の集いになった
▼60をすぎた城田さんに会った。話はパラオ諸島での特要隊のことになった。「台湾の娘さんがカエリタイカエリタイといっていた。朝鮮半島の娘さんも、カエリタイヨオッカサンオッカサンといっていた。何人もの仲間が爆撃で死んだ」
▼「外地」から戦地へだまされて連れて行かれた女性の数はわからない。日本の女性を含め、彼女たちは軍需物資なみに扱われた。軍馬と共に船底に押しこまれて運ばれることもあった(千田夏光『従軍慰安婦・慶子』)
▼軍隊の暗部を今さら、という人もいるだろう。だが軍需物資として消耗品のように捨てられた女性たちの存在はやはり、戦争史に刻まれねばならぬ
▼「心の奥の奥にかたまっていたものを吐きだすことができた」。鎮魂の柱を建てた後で城田さんがいった。「こんな体になっても私が生かされてきたのは、仲間のことを証明するためではなかったかと……」。語っているうちに涙が噴きだした
▼木の柱は、いずれは石碑に変えられる。
[朝日新聞社]
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