戦争はみじめだ・・・皇居は防空壕作ってる
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/08/14 23:55 投稿番号: [21293 / 29399]
先程【火垂るの墓】を見た。
これは毎年のように見るのだが、いや、ほんとは見たくない。
みじめな気持ちになる、涙が溢れるのは分かっている。
でも、あの幼い女の子・・・
野坂昭如の体験だと言う、最後には【餓死】してしまったあの幼女を見ると
チャンネルを変えられなくなる。
野坂さんは、戦後【幼児が食べ散らかしてるのを見ると】心穏やかではなく
なり、その場を離れたという。
悲惨な、ずっと忘れられない体験だった。
この映画でも分かるが、戦争ってほんとに人の心を冷たくするね。
戦災孤児に対する大人の態度、生き延びるのに必死で子供だろうが
容赦しない。
★皇居内に22の防空壕、太平洋戦争直前に完成
2009年8月14日
太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年9月、
皇居(東京都千代田区)内に22カ所の防空壕(ごう)が完成していたことが、朝日新聞社が宮内庁に開示を求めた資料でわかった。
主に職員用だったとみられ、赤坂離宮(港区、現・迎賓館)にも14カ所造られていた。「簡易防空壕」と表記されているが、一部の工事仕様書から、内部を厚さ約2.5センチの板で囲い、防毒幕を張った充実した構造だったことがうかがえる。
開示された資料は、宮内省(当時)が作成した「防空関係工事録 内匠(たくみ)寮(りょう)」と「工事録 内匠寮」。
「防空関係工事録」中の文書には、皇居内に計420人が収容できる防空壕21カ所が必要と記されている。
開戦の9カ月前の41年3月3日に決裁されていた。
さらに、同年9月に工事が完了したことを示す文書もあった。それによると、皇居内にできた防空壕は予定より一つ多い22カ所。地下式と横穴式の2種類で、10〜30人用と大型だった。
「工事録」には、22カ所中6カ所の工事仕様書や断面図、平面図も残っていた。断面図によると、内部は幅約1.5メートル、高さ約1.6メートル。木造で床に砂利を敷いて腰掛けを設け、毒ガスに備えた防毒幕も張る計画だった。修正した記録はなく、仕様書通りに建造されたとみられる。
防空壕の埋め戻しに関する資料は見つかっておらず、宮内庁は「すべてが埋め戻されているかどうか確認していない」としている。(山田理恵)
http://www.asahi.com/national/update/0813/OSK200908130237.html
ノーテンキすぎません?↓
★両陛下、ゆかりの品々を鑑賞 皇居の三の丸尚蔵館
2009年8月14日
天皇、皇后両陛下は14日、皇居内の三の丸尚蔵館で開催中の特別展「両陛下――想(おも)い出と絆(きずな)の品々・第1期」を鑑賞した。
誕生から結婚前後までの調度品や衣類など、ゆかりの品々を紹介している。
天皇陛下は、小学生のころ使っていた教科書を見て、「数のほうは算術と言ったね。高学年になると算数だった」と懐かしそう。
皇后さまは、画家の小磯良平がスケッチして、朝日新聞の紙面を飾った婚約時代のご自身の肖像画(朝日新聞社蔵)を見て、「まあ、なつかしいわぁ」と目を細めていた。第1期は23日まで。
http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY200908140239.html
これは毎年のように見るのだが、いや、ほんとは見たくない。
みじめな気持ちになる、涙が溢れるのは分かっている。
でも、あの幼い女の子・・・
野坂昭如の体験だと言う、最後には【餓死】してしまったあの幼女を見ると
チャンネルを変えられなくなる。
野坂さんは、戦後【幼児が食べ散らかしてるのを見ると】心穏やかではなく
なり、その場を離れたという。
悲惨な、ずっと忘れられない体験だった。
この映画でも分かるが、戦争ってほんとに人の心を冷たくするね。
戦災孤児に対する大人の態度、生き延びるのに必死で子供だろうが
容赦しない。
★皇居内に22の防空壕、太平洋戦争直前に完成
2009年8月14日
太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年9月、
皇居(東京都千代田区)内に22カ所の防空壕(ごう)が完成していたことが、朝日新聞社が宮内庁に開示を求めた資料でわかった。
主に職員用だったとみられ、赤坂離宮(港区、現・迎賓館)にも14カ所造られていた。「簡易防空壕」と表記されているが、一部の工事仕様書から、内部を厚さ約2.5センチの板で囲い、防毒幕を張った充実した構造だったことがうかがえる。
開示された資料は、宮内省(当時)が作成した「防空関係工事録 内匠(たくみ)寮(りょう)」と「工事録 内匠寮」。
「防空関係工事録」中の文書には、皇居内に計420人が収容できる防空壕21カ所が必要と記されている。
開戦の9カ月前の41年3月3日に決裁されていた。
さらに、同年9月に工事が完了したことを示す文書もあった。それによると、皇居内にできた防空壕は予定より一つ多い22カ所。地下式と横穴式の2種類で、10〜30人用と大型だった。
「工事録」には、22カ所中6カ所の工事仕様書や断面図、平面図も残っていた。断面図によると、内部は幅約1.5メートル、高さ約1.6メートル。木造で床に砂利を敷いて腰掛けを設け、毒ガスに備えた防毒幕も張る計画だった。修正した記録はなく、仕様書通りに建造されたとみられる。
防空壕の埋め戻しに関する資料は見つかっておらず、宮内庁は「すべてが埋め戻されているかどうか確認していない」としている。(山田理恵)
http://www.asahi.com/national/update/0813/OSK200908130237.html
ノーテンキすぎません?↓
★両陛下、ゆかりの品々を鑑賞 皇居の三の丸尚蔵館
2009年8月14日
天皇、皇后両陛下は14日、皇居内の三の丸尚蔵館で開催中の特別展「両陛下――想(おも)い出と絆(きずな)の品々・第1期」を鑑賞した。
誕生から結婚前後までの調度品や衣類など、ゆかりの品々を紹介している。
天皇陛下は、小学生のころ使っていた教科書を見て、「数のほうは算術と言ったね。高学年になると算数だった」と懐かしそう。
皇后さまは、画家の小磯良平がスケッチして、朝日新聞の紙面を飾った婚約時代のご自身の肖像画(朝日新聞社蔵)を見て、「まあ、なつかしいわぁ」と目を細めていた。第1期は23日まで。
http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY200908140239.html