沖縄・宮古島に、日本初【慰安婦祈念碑】
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2008/12/04 00:22 投稿番号: [20895 / 29399]
★「慰安婦の碑」建立へ
心体の傷いえず
2008年9月7日
【宮古島】宮古島市民や日韓の研究者らでつくる「宮古島に日本軍『慰安婦』の祈念碑を建てる会」は7日、
戦時中に朝鮮人慰安婦が宮古に連行された歴史を伝える「日本軍『慰安婦』の祈念碑」を12カ国約600の個人・団体からの賛同を得て同市上野野原に建立する。
同会によると同様の祈念碑建立は国内初。
建立前日の6日、同市平良で証言会があり、満州へ強制連行された元朝鮮人慰安婦が涙ながらに自身の悲惨な体験を語った。
証言したのは1939年冬―45年秋の約6年間、日本軍の慰安婦として満州に強制連行された韓国人の朴順姫(パクスンヒ)さん(85)=ソウル市。祈念碑建立に合わせ「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」の呼び掛けに応じ、初めて海外で証言した。高校生を含め、多くの市民が聞いた。
韓国の平安南道元山で生まれた朴さんは16歳の時に強制連行された。
当時について「隣町に住む友達の家へ遊びに行く途中で日本の憲兵2人に『こっちに来い』と言われた。そのまま日本人の部屋に何日間か閉じこめられ、列車で中国へ連行された」と説明した。
満州では「着いた日からたくさんの日本人が(慰安所に)並んでいた。私は(性的)経験が無く、苦しくて反抗すると、軍人が私を包丁で刺した。今も傷跡が残る。一般兵も将校も来た」とつらい体験を告白した。
慰安所の生活は「6年間、外に出られず、どこにいるのかも分からなかった。外を見ることを許されたのは、1週間に1回、子宮の検査で病院に行く時だった」と振り返る。
朴さんは1945年に慰安所を飛び出した。
「帰るための列車に乗ると妹に似た人がいた。名を呼ぶと、(妹は)びっくりして顔を見た。そこで(妹も)強制的に連れてこられて慰安婦にされたことを知った」。
朴さんの父は娘たちが慰安婦にされたことを知って怒りのあまり、4日後に亡くなったという。
最後に日本政府へ向けて「生きている間に心からの謝罪と公式な補償をしてほしい」と訴えた。
会場からは勇気ある証言に拍手が送られ、証言を聞いた宮古高1年の奥平彩芽さん(16)は「(同年代のころに連行されたことを聞いて)ショック。あらためて戦争の恐ろしさを感じた」と語った。(古堅一樹)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-136016-storytopic-1.html
★「近所に慰安所」 沖縄戦で住民証言 2007年4月8日
【宮古島】「宮古島の日本軍『慰安婦』について証言を聞く会」(宮古島の日本軍「慰安婦」問題を考える女たちの会主催)が7日、宮古島市中央公民館で開かれた。
沖縄戦当時、朝鮮人慰安婦がいる慰安所に日本軍が出入りしていたことを住民が証言した。
沖縄戦時、上野村野原に住んでいた与那覇博敏さん(73)が「小学5年のころ、家の近くに朝鮮人の女性たちがいる慰安所があった」と証言した。
与那覇さんは「最初はどこの女性かなと疑問に思ったが後で朝鮮人と知った。日本軍の兵隊が出入りしていた。
最初に見たのは1944年の早い時期。終戦間際までいたので、1年数カ月は慰安所として利用されていたと思う」と話した。
県内各地の沖縄戦当時の慰安所について調査研究している早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程の洪允伸(ホンユンシン)さん(28)は、
【慰安所が宮古島に10カ所、伊良部島に1カ所の少なくとも計11カ所確認されていることを説明した。】
洪さんは過去2回の宮古島の調査で、宮古の場合は慰安所が住民の生活圏と密接に関係を持っていたことを指摘。
「宮古は米軍上陸がなく、沖縄の中でも比較的被害が少なかったと言われるが、被害の大きさは死者数なのか」と疑問視した。・・
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-22801-storytopic-1.html
【宮古島】宮古島市民や日韓の研究者らでつくる「宮古島に日本軍『慰安婦』の祈念碑を建てる会」は7日、
戦時中に朝鮮人慰安婦が宮古に連行された歴史を伝える「日本軍『慰安婦』の祈念碑」を12カ国約600の個人・団体からの賛同を得て同市上野野原に建立する。
同会によると同様の祈念碑建立は国内初。
建立前日の6日、同市平良で証言会があり、満州へ強制連行された元朝鮮人慰安婦が涙ながらに自身の悲惨な体験を語った。
証言したのは1939年冬―45年秋の約6年間、日本軍の慰安婦として満州に強制連行された韓国人の朴順姫(パクスンヒ)さん(85)=ソウル市。祈念碑建立に合わせ「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」の呼び掛けに応じ、初めて海外で証言した。高校生を含め、多くの市民が聞いた。
韓国の平安南道元山で生まれた朴さんは16歳の時に強制連行された。
当時について「隣町に住む友達の家へ遊びに行く途中で日本の憲兵2人に『こっちに来い』と言われた。そのまま日本人の部屋に何日間か閉じこめられ、列車で中国へ連行された」と説明した。
満州では「着いた日からたくさんの日本人が(慰安所に)並んでいた。私は(性的)経験が無く、苦しくて反抗すると、軍人が私を包丁で刺した。今も傷跡が残る。一般兵も将校も来た」とつらい体験を告白した。
慰安所の生活は「6年間、外に出られず、どこにいるのかも分からなかった。外を見ることを許されたのは、1週間に1回、子宮の検査で病院に行く時だった」と振り返る。
朴さんは1945年に慰安所を飛び出した。
「帰るための列車に乗ると妹に似た人がいた。名を呼ぶと、(妹は)びっくりして顔を見た。そこで(妹も)強制的に連れてこられて慰安婦にされたことを知った」。
朴さんの父は娘たちが慰安婦にされたことを知って怒りのあまり、4日後に亡くなったという。
最後に日本政府へ向けて「生きている間に心からの謝罪と公式な補償をしてほしい」と訴えた。
会場からは勇気ある証言に拍手が送られ、証言を聞いた宮古高1年の奥平彩芽さん(16)は「(同年代のころに連行されたことを聞いて)ショック。あらためて戦争の恐ろしさを感じた」と語った。(古堅一樹)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-136016-storytopic-1.html
★「近所に慰安所」 沖縄戦で住民証言 2007年4月8日
【宮古島】「宮古島の日本軍『慰安婦』について証言を聞く会」(宮古島の日本軍「慰安婦」問題を考える女たちの会主催)が7日、宮古島市中央公民館で開かれた。
沖縄戦当時、朝鮮人慰安婦がいる慰安所に日本軍が出入りしていたことを住民が証言した。
沖縄戦時、上野村野原に住んでいた与那覇博敏さん(73)が「小学5年のころ、家の近くに朝鮮人の女性たちがいる慰安所があった」と証言した。
与那覇さんは「最初はどこの女性かなと疑問に思ったが後で朝鮮人と知った。日本軍の兵隊が出入りしていた。
最初に見たのは1944年の早い時期。終戦間際までいたので、1年数カ月は慰安所として利用されていたと思う」と話した。
県内各地の沖縄戦当時の慰安所について調査研究している早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程の洪允伸(ホンユンシン)さん(28)は、
【慰安所が宮古島に10カ所、伊良部島に1カ所の少なくとも計11カ所確認されていることを説明した。】
洪さんは過去2回の宮古島の調査で、宮古の場合は慰安所が住民の生活圏と密接に関係を持っていたことを指摘。
「宮古は米軍上陸がなく、沖縄の中でも比較的被害が少なかったと言われるが、被害の大きさは死者数なのか」と疑問視した。・・
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-22801-storytopic-1.html