【海軍も】・強制連行
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2008/04/08 00:02 投稿番号: [20170 / 29399]
オランダ人女性たちが被害を受けた、皇軍幹部たちの【女性強制連行】白馬事件は有名。
オランダ政府がアベシンの【狭義の強制連行はなかった】に怒って、
【日本の大使を呼んで事情説明】させたのも
自国の女性たち少なくとも60名ほどが【強姦所(皇軍は慰安所と呼んだ)】
に強制連行され、自殺者まで出ているから。
戦後、戦犯裁判で【皇軍将校ら、11名が死刑を含む重罰を受けた】
この裁判を国内で知った皇軍将校も、自殺しているそうだ。
他にも
*インドネシア「モア島」強制連行
国立国会図書館所蔵の極東軍事裁判の関係文書の中に、
日本軍人の戦争犯罪を立証する尋問調書が見つかった。
【指揮官だった陸軍中尉】が(インドネシア)モア島で現地の女性をむりやり「慰安婦」にしたことが供述されている。
問「ある証人はあなたが婦女たちを強姦し、その婦人たちは兵営に連れて行か
れ、日本人たちの用に供せられたと言いましたが、それはほんとうですか」
答「私は兵隊たちのために娼家を一軒設け、私自身もこれを利用しました」
問「婦女たちはその娼家に行くことを快諾しましたか」
答「ある者は快諾し、ある者は快諾しませんでした」
問「幾人女がそこにおりましたか」
答「六人です」
問「その女たちのうち、幾人が娼家に入るように強いられましたか」
答「五人です」
問「どうしてそれらの婦女たちは娼家に入るように強いられたのですか」
答「彼らは憲兵隊を攻撃した者の娘たちでありました」
問「ではその婦女たちは父親のしたことの罰として娼家に入るよう強いられた
のですね」
答「左様です」・・
*海軍(四南遣艦隊)司令部副官である東大出身の大島主計大尉が、インドネシアでの「慰安婦」集めについておよそこう述べたことが伝えられています(禾晴道「海軍特別警察隊」太平出版社)。
・・ 「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集めること、
そのためには宣撫用の物資も用意する。
いまのところ集める場所は、海軍病院の近くにある元の神学校の校舎を使用する予定でいる。集まってくる女には、当分の間、うまい食事を腹いっぱい食べさせて共同生活をさせる。
その間に、来てよかったという空気をつくらせてうわさになるようにしていきたい。
そして、ひとりひとりの女性から、慰安婦として働いてもよいという承諾書をとって、
***自由意志で集まったようにすることにしています」
「特警隊なら通訳もいるし、おどしもきくから(女集めを)どうか」
これに対し、特警隊の禾(のぎ)晴道中尉は「治安維持を任務としている特警隊の信頼はまったくなくなる」ことを理由に、
「特警隊は協力することはできます。女性のリストをつくり現地人の警察隊とか、住民のボスを利用して、
反感が直接日本軍にくることを防ぐ必要があります」と述べて、この任務を逃れました。
結局、****「慰安婦」集めは民政関係の現地人
警察を指導している政務隊におしつけられ、
副官が中心になり、特警隊は協力し、各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになりました。
そうやって政務隊が「女集め」をしましたが、その後のエピソードを、担当の司政官が禾中尉に戦後、次のように語りました。
****「あの慰安婦集めには、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、
リストに報告されていた娘を強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、
娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞくと港に集まって船に近
づいてきて、娘を返せ! 娘を返せ! と叫んだ声が耳に残っていますよ。
****こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピストルに手を・・
「半月城通信」から
オランダ政府がアベシンの【狭義の強制連行はなかった】に怒って、
【日本の大使を呼んで事情説明】させたのも
自国の女性たち少なくとも60名ほどが【強姦所(皇軍は慰安所と呼んだ)】
に強制連行され、自殺者まで出ているから。
戦後、戦犯裁判で【皇軍将校ら、11名が死刑を含む重罰を受けた】
この裁判を国内で知った皇軍将校も、自殺しているそうだ。
他にも
*インドネシア「モア島」強制連行
国立国会図書館所蔵の極東軍事裁判の関係文書の中に、
日本軍人の戦争犯罪を立証する尋問調書が見つかった。
【指揮官だった陸軍中尉】が(インドネシア)モア島で現地の女性をむりやり「慰安婦」にしたことが供述されている。
問「ある証人はあなたが婦女たちを強姦し、その婦人たちは兵営に連れて行か
れ、日本人たちの用に供せられたと言いましたが、それはほんとうですか」
答「私は兵隊たちのために娼家を一軒設け、私自身もこれを利用しました」
問「婦女たちはその娼家に行くことを快諾しましたか」
答「ある者は快諾し、ある者は快諾しませんでした」
問「幾人女がそこにおりましたか」
答「六人です」
問「その女たちのうち、幾人が娼家に入るように強いられましたか」
答「五人です」
問「どうしてそれらの婦女たちは娼家に入るように強いられたのですか」
答「彼らは憲兵隊を攻撃した者の娘たちでありました」
問「ではその婦女たちは父親のしたことの罰として娼家に入るよう強いられた
のですね」
答「左様です」・・
*海軍(四南遣艦隊)司令部副官である東大出身の大島主計大尉が、インドネシアでの「慰安婦」集めについておよそこう述べたことが伝えられています(禾晴道「海軍特別警察隊」太平出版社)。
・・ 「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集めること、
そのためには宣撫用の物資も用意する。
いまのところ集める場所は、海軍病院の近くにある元の神学校の校舎を使用する予定でいる。集まってくる女には、当分の間、うまい食事を腹いっぱい食べさせて共同生活をさせる。
その間に、来てよかったという空気をつくらせてうわさになるようにしていきたい。
そして、ひとりひとりの女性から、慰安婦として働いてもよいという承諾書をとって、
***自由意志で集まったようにすることにしています」
「特警隊なら通訳もいるし、おどしもきくから(女集めを)どうか」
これに対し、特警隊の禾(のぎ)晴道中尉は「治安維持を任務としている特警隊の信頼はまったくなくなる」ことを理由に、
「特警隊は協力することはできます。女性のリストをつくり現地人の警察隊とか、住民のボスを利用して、
反感が直接日本軍にくることを防ぐ必要があります」と述べて、この任務を逃れました。
結局、****「慰安婦」集めは民政関係の現地人
警察を指導している政務隊におしつけられ、
副官が中心になり、特警隊は協力し、各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することになりました。
そうやって政務隊が「女集め」をしましたが、その後のエピソードを、担当の司政官が禾中尉に戦後、次のように語りました。
****「あの慰安婦集めには、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、
リストに報告されていた娘を強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、
娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞくと港に集まって船に近
づいてきて、娘を返せ! 娘を返せ! と叫んだ声が耳に残っていますよ。
****こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピストルに手を・・
「半月城通信」から