国民を守らない自衛隊とは、自衛隊の常識
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2008/03/10 00:01 投稿番号: [20100 / 29399]
>>【自衛隊は国民を守るのではない】と国民に周知しましょう。
>あなたの言う「国民」とは何を指すのでしょうか?
>自衛隊員も国民である以上、「国民を守るために国民の命を投げ出す」という矛盾を抱えることにはなりませんか。
ですから、守るのは【天皇を中心とした国家】であって、
【自衛隊員】も守られないのです ↓
★・・栗栖弘臣という人をご存じでしょうか。この人は1978年に当時、統合幕僚会議議長。自衛隊の制服組のトップと言っていいでしょう。
・・
その栗栖氏が2000年ですから、もう数年前ですが、最近です。最近、小学館文庫でこういう本を出して、「国を守る」ということについて、次のように述べているわけです。
「今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い」と。
・・ 「政治家やマスコミも往々(しばしば)この言葉を使う。しかし、国民の生命、財産を守るのは警察の使命であって、
武装集団たる自衛隊の任務ではない。
【自衛隊は国の独立と平和を守るのである。】
警察法と自衛隊法に書いてある。
【この場合の国とは、我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国が、天皇制を中心とする一体感を共有する民族家族意識である。
決して個々の国民を意味しない。
もし個々の国民を指すとすると、自衛官も守られるべき国民であるから、生命を犠牲にすることは大きな矛盾である」。】
以下省略しますが、こんなふうに述べているんですね。
これは要するに、「国体護持」っていうことですよね。天皇制を中心とする「国柄」ですから。「国柄」というのは戦前、戦中の文献を見ると、あきらかに「国体」と同じ意味で使われています。
・・戦前戦中、かつての旧帝国軍隊は、皇軍、天皇の軍隊であり、天皇制国家という国体を守るための軍隊だった。
だからいざとなったときには、国民を犠牲にした。旧満州でそうだった。そして沖縄戦でそうだった。ということがずっと言われてきたわけですけれども、その旧帝国軍隊。「国体護持」の軍隊という考え方が、はたして戦後の自衛隊においてどこまで清算されたのかということが実ははっきりしない。
少なくとも1978年の段階で、自衛隊の制服組のトップだった人は、まだ「国体護持」という使命感を持っていたわけです。そのことがここであきらかになります。
そして2000年の段階でも彼はそう考えているということがわかります。
・・左側の資料。朝日新聞。「有事を問う」という記事ですけれども、
「陸幕のある幹部は言った。我々の任務は国家を守ることだ。それが国民の生命や財産の安全につながる」と。
2次的につながる。【まず第一に国家を守るんだ】と。
「自衛隊は国民を守るためにあると考えるのは間違っている」と。
こういうふうに述べているんですね。いったい自衛隊は、国民の生命、財産を守るのか、国家を守るのか。
上の記事は関連の記事ですが、
【石破茂防衛庁長官が、いわゆる有事の際には、自衛隊は敵の侵害を排除することで精一杯なので、「国民の生命、財産を守る」まではとても余裕がないという趣旨のことを述べている文章です。】
こんなふうに考えてきますと、やはり現在の有事法制の整備、そして日本の軍事化の流れの中で、国民を犠牲にして国家を守るという発想が脈々と生き続けているのではないかというふうに疑わざるをえないのですね。・・・
http://www.coara.or.jp/~yufukiri/localnet/tetuyakoen.html
>来栖発言は表現の妥当性を欠いていると思いますが、国の独立を守るとは、連綿として先人から受け継がれてきた文化・伝統を守ることだと解すれば、それ程違和感は感じられませんが如何でしょうか。
表現の妥当性というような代物ではなく、
正直に【自衛隊の本質】を表現しているのです。
自衛隊幹部にとっては常識なんですが、【国民は知らないだけ】。
石破や自衛隊の幹部も同様の発言していますから。
>あなたの言う「国民」とは何を指すのでしょうか?
>自衛隊員も国民である以上、「国民を守るために国民の命を投げ出す」という矛盾を抱えることにはなりませんか。
ですから、守るのは【天皇を中心とした国家】であって、
【自衛隊員】も守られないのです ↓
★・・栗栖弘臣という人をご存じでしょうか。この人は1978年に当時、統合幕僚会議議長。自衛隊の制服組のトップと言っていいでしょう。
・・
その栗栖氏が2000年ですから、もう数年前ですが、最近です。最近、小学館文庫でこういう本を出して、「国を守る」ということについて、次のように述べているわけです。
「今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い」と。
・・ 「政治家やマスコミも往々(しばしば)この言葉を使う。しかし、国民の生命、財産を守るのは警察の使命であって、
武装集団たる自衛隊の任務ではない。
【自衛隊は国の独立と平和を守るのである。】
警察法と自衛隊法に書いてある。
【この場合の国とは、我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国が、天皇制を中心とする一体感を共有する民族家族意識である。
決して個々の国民を意味しない。
もし個々の国民を指すとすると、自衛官も守られるべき国民であるから、生命を犠牲にすることは大きな矛盾である」。】
以下省略しますが、こんなふうに述べているんですね。
これは要するに、「国体護持」っていうことですよね。天皇制を中心とする「国柄」ですから。「国柄」というのは戦前、戦中の文献を見ると、あきらかに「国体」と同じ意味で使われています。
・・戦前戦中、かつての旧帝国軍隊は、皇軍、天皇の軍隊であり、天皇制国家という国体を守るための軍隊だった。
だからいざとなったときには、国民を犠牲にした。旧満州でそうだった。そして沖縄戦でそうだった。ということがずっと言われてきたわけですけれども、その旧帝国軍隊。「国体護持」の軍隊という考え方が、はたして戦後の自衛隊においてどこまで清算されたのかということが実ははっきりしない。
少なくとも1978年の段階で、自衛隊の制服組のトップだった人は、まだ「国体護持」という使命感を持っていたわけです。そのことがここであきらかになります。
そして2000年の段階でも彼はそう考えているということがわかります。
・・左側の資料。朝日新聞。「有事を問う」という記事ですけれども、
「陸幕のある幹部は言った。我々の任務は国家を守ることだ。それが国民の生命や財産の安全につながる」と。
2次的につながる。【まず第一に国家を守るんだ】と。
「自衛隊は国民を守るためにあると考えるのは間違っている」と。
こういうふうに述べているんですね。いったい自衛隊は、国民の生命、財産を守るのか、国家を守るのか。
上の記事は関連の記事ですが、
【石破茂防衛庁長官が、いわゆる有事の際には、自衛隊は敵の侵害を排除することで精一杯なので、「国民の生命、財産を守る」まではとても余裕がないという趣旨のことを述べている文章です。】
こんなふうに考えてきますと、やはり現在の有事法制の整備、そして日本の軍事化の流れの中で、国民を犠牲にして国家を守るという発想が脈々と生き続けているのではないかというふうに疑わざるをえないのですね。・・・
http://www.coara.or.jp/~yufukiri/localnet/tetuyakoen.html
>来栖発言は表現の妥当性を欠いていると思いますが、国の独立を守るとは、連綿として先人から受け継がれてきた文化・伝統を守ることだと解すれば、それ程違和感は感じられませんが如何でしょうか。
表現の妥当性というような代物ではなく、
正直に【自衛隊の本質】を表現しているのです。
自衛隊幹部にとっては常識なんですが、【国民は知らないだけ】。
石破や自衛隊の幹部も同様の発言していますから。
これは メッセージ 20072 (hisatukai さん)への返信です.