南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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捕虜になることを許さず・・赤松隊長

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2007/09/30 23:32 投稿番号: [19470 / 29399]
沖縄タイムス記事


★島の全権   戦隊長が握る/安仁屋・沖国大名誉教授


  ・・   当時の慶良間諸島は空も海も陸もすべて敵に囲まれている「合囲地境」の状況。そこに民政はない。


「集団自決」は軍が全権を握っている中で起きた。赤松氏が渡嘉敷島、梅沢氏が座間味島で全権を任されている状況であり、赤松氏の副官だった知念氏も当然、その認識を持っていたはずだ。


  原告側証人の知念氏は米軍に投降して伊江島から渡嘉敷島に移された住民を殺害している。


また、赤松隊は朝鮮人軍夫、学校の教頭をスパイ容疑や敵前逃亡の理由で殺害している。


「集団自決」と「住民虐殺」は表裏一体。

「天皇の軍隊」である日本軍が島にいたからこそ起きた。

【われわれ県民は、日本軍の中に県出身者がいたことをあらためて認識する必要がある。】



  皆本氏は手榴弾は軍が管理し、防衛隊員には配ったが、民間人に配布していないとしている。

だが、防衛隊も軍隊。

【防衛隊は、命令なくして住民に手榴弾を配ることはできない。】


【住民の証言によると、赤松隊は軍の命令を伝える兵事主任に手榴弾を持ってこさせて住民に配っている。】


すべての責任は、全権を握っていた赤松氏にある。軍命なしに「集団自決」が起きたわけでないことは明らかである。(談)


皆本義博さん/隊長動向知らぬ

  赤松戦隊長は、陸軍士官学校の卒業生としては珍しく温容な人。渡嘉敷島では村落に宿泊し、住民に心から歓迎してもらった。今も交流は続いている。


  【赤松戦隊長から部隊が住民に対して自決の命令を出したとは一切聞いていないが、一九四五年三月二十六日から二十八日にかけての赤松戦隊長の動向については知らない。】


  ・・渡嘉敷島で手榴弾は防衛隊にだけ配り、民間人に配ったことはない。





知念朝睦さん/隊長の命令ない

  戦隊長から「集団自決」命令を受けたことはない。「集団自決」に軍として責任があるかということは、考えたこともない。


  「鉄の暴風」には地下壕の中で将校会議を開き、戦隊長が「非戦闘員をいさぎよく自決させなければいけない」と言ったと書かれているが、そのような事実はない。戦隊長は慈悲のある人だった。


【しかし、住民が捕虜になることは許さなかった。米軍から脱走してきた少年や伊江島の女性、大城教頭らの処刑は戦隊長の口頭の命令で行った。】


  大詔奉戴日の儀式は一九四四年九月に渡嘉敷島に上陸してから毎月、軍から将校や兵隊が参加していたが、村の人がいた記憶はない。そこで「米軍が上陸してきたら自決するように」と訓示したこともない。

・・

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707281300_01.html


赤松隊長の部下の知念氏の証言・・

赤松隊長は、捕虜になることを許さず、捕虜になった県民を殺害指令した。


隊長の許可もなしに【貴重な手榴弾】を住民に配るはずも無い。

住民に手榴弾・・・これを使って米軍攻撃せよとの指令も無いことから、明らかにこれは

【自決用】でしょう。




しかし赤松隊長・・・なぜ【捕虜】になったのー?

住民には【捕虜になることを許さなかった】のにー。
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