Re: 時間の無駄・・・・例外的に同意w
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/09/09 10:28 投稿番号: [19356 / 29399]
議定書の内容
満州国の承認
満州での日本の既得権益の維持(関東州は租借地として継続して日本の直接支配下)
共同防衛の名目での関東軍駐屯の了承
の3点である。
日本政府 関東軍の都合の良い 要求書だな(笑)
交換書簡の内容
過去に交わされた下記の文書について、引き続き行使する事。
1. 1932年3月10日に満州国執政(溥儀)から送付され、5月10日に関東軍司令官(本庄繁)から回答された書簡の件
具体的な内容としては、
満州国の国防は関東軍に委託し、その経費は満州国が負担する。
関東軍が国防上必要とする場合、既設の鉄道・港湾・水路・航空路の管理と新設の工事については、日本もしくは日本指定の機関に委託する。
関東軍が必要とする各種の施設について、極力援助を行う。
日本人を参与として登用する他、中央・地方の官僚にも日本人を登用するが、その人選は関東軍司令官の推薦とし、解職には関東軍司令官の同意が必要とする。(参議の人数については両国協議の上増減する)
の4点。
2. 1932年8月7日に満州国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、満洲国政府の鉄道・港湾・水路・航空路等の管理並びに二線路の敷設管理に関する協約とそれに基づく附属協定
3. 1932年8月7日に満州国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、航空会社(満州航空)設立に関する協定
4. 1932年9月9日に満州国国務総理(鄭)と関東軍司令官(武藤)との間で交わされた、国防上必要な鉱業権の設定に関する協定
関東軍によけいな詮索はせず 金だけは出せってヤクザまがいの強行直談判だな(笑)
なぜ、この時期に「日満議定書」なのか
満州国の成立は1932年3月であり、すでに半年も経過している。 また満州国内の日本の権益も既に確定しており、今さら公式文書を交わす必要もない。 ではなぜこの時点で日満議定書が交わされたのか。 大きな要因の一つに、リットン調査団の存在があげられる。
リットン調査団は満州事変を受けて、国際連盟から派遣された調査団であり、
満州事変への日本軍の関与
満州国が主権を持った国家かどうか
を調査しており、1932年10月の調査結果の報告を前に、この時期には既に報告書の作成を完了している。
当時の国際世論では「満州国は日本の傀儡政権である」という見方が大勢を占めており、国際連盟も満州国を承認しない公算が大きかった。そのため、機先を制して日本が満州国の存在を公式に認めることで、国際世論へのアピールを狙ったものであった。
結果 国連決議 42対1 で日本非難決議を決したってわけね。
それでも日本政府は 居直り 国連に後ろ足で砂をかけて脱退した訳ね(笑)
ほんで 国際秩序破壊しつつあったドイツ イタリアと 手を結んじゃって 連合国側をすべて敵に回しちゃったのよね(笑) 愚かな行為だったね。
ちゃんと反省できてるかい?(笑)
満州国の承認
満州での日本の既得権益の維持(関東州は租借地として継続して日本の直接支配下)
共同防衛の名目での関東軍駐屯の了承
の3点である。
日本政府 関東軍の都合の良い 要求書だな(笑)
交換書簡の内容
過去に交わされた下記の文書について、引き続き行使する事。
1. 1932年3月10日に満州国執政(溥儀)から送付され、5月10日に関東軍司令官(本庄繁)から回答された書簡の件
具体的な内容としては、
満州国の国防は関東軍に委託し、その経費は満州国が負担する。
関東軍が国防上必要とする場合、既設の鉄道・港湾・水路・航空路の管理と新設の工事については、日本もしくは日本指定の機関に委託する。
関東軍が必要とする各種の施設について、極力援助を行う。
日本人を参与として登用する他、中央・地方の官僚にも日本人を登用するが、その人選は関東軍司令官の推薦とし、解職には関東軍司令官の同意が必要とする。(参議の人数については両国協議の上増減する)
の4点。
2. 1932年8月7日に満州国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、満洲国政府の鉄道・港湾・水路・航空路等の管理並びに二線路の敷設管理に関する協約とそれに基づく附属協定
3. 1932年8月7日に満州国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、航空会社(満州航空)設立に関する協定
4. 1932年9月9日に満州国国務総理(鄭)と関東軍司令官(武藤)との間で交わされた、国防上必要な鉱業権の設定に関する協定
関東軍によけいな詮索はせず 金だけは出せってヤクザまがいの強行直談判だな(笑)
なぜ、この時期に「日満議定書」なのか
満州国の成立は1932年3月であり、すでに半年も経過している。 また満州国内の日本の権益も既に確定しており、今さら公式文書を交わす必要もない。 ではなぜこの時点で日満議定書が交わされたのか。 大きな要因の一つに、リットン調査団の存在があげられる。
リットン調査団は満州事変を受けて、国際連盟から派遣された調査団であり、
満州事変への日本軍の関与
満州国が主権を持った国家かどうか
を調査しており、1932年10月の調査結果の報告を前に、この時期には既に報告書の作成を完了している。
当時の国際世論では「満州国は日本の傀儡政権である」という見方が大勢を占めており、国際連盟も満州国を承認しない公算が大きかった。そのため、機先を制して日本が満州国の存在を公式に認めることで、国際世論へのアピールを狙ったものであった。
結果 国連決議 42対1 で日本非難決議を決したってわけね。
それでも日本政府は 居直り 国連に後ろ足で砂をかけて脱退した訳ね(笑)
ほんで 国際秩序破壊しつつあったドイツ イタリアと 手を結んじゃって 連合国側をすべて敵に回しちゃったのよね(笑) 愚かな行為だったね。
ちゃんと反省できてるかい?(笑)
これは メッセージ 19353 (yominokuni56 さん)への返信です.