日露戦争では機関銃がなかったというヨタ
投稿者: emsle0987 投稿日時: 2007/06/06 04:32 投稿番号: [16428 / 29399]
>日露戦争のとき、日本軍には機関銃なんかなかった。
馬鹿だね。日本には幕末の時代からガトリング式機関銃があったよ。
日露戦争映画の印象で勝手に思い込んでいるのと違うか?
ヨタを書く前に日本の機関銃の歴史についてちゃんと調べな。
日清戦争の時期にはすでに日本陸軍にはマキシム機関銃が200丁ほど配備されていた。(ただし日清戦争では使われず)
日露戦争の時期にはフランスのホチキス社とライセンス契約を結ばれホチキス機関銃(保式機関砲)が配備され、日露戦争でも使われた。
機関銃の数でいえばロシア軍よりも日本軍の方が配備数が多かった。
日露戦争の最初の激戦、南山の戦闘で約4500人の死傷者を出した日本はしばらくの間全ての機関銃を旅順攻略部隊である第3軍に配備し、他の野戦軍には機関銃が一切配備されなかった。(これが「日本軍は機関銃をもっていなかった」と誤解が生じた原因らしい)
奉天会戦では、秋山中佐率いる騎兵部隊が10万ものロシア軍の攻撃を受けた。その前に秋山中佐は強行に機関銃の配備を主張していた。機関銃の有効さを見ぬいていたからだが、この騎兵部隊は下馬して塹壕を掘って戦闘を行い(当時は乗馬突撃戦闘が主流だった)、11丁の機関銃を有効活用し、また、配備されたての有線電話をも有効活用して、援軍到着まで持ちこたえて戦線崩壊を防いだ。
ホチキス機関銃を生産していたのは東京砲兵工廠で、その後、ホチキス機関銃は日露戦争の教訓から背の高い3脚から背の低い3脚、トリガーブロックの一体化などの改良が行われ、38年式機関銃として制式採用となった。
といっても、ベースはホチキス機関銃なので38年式機関銃を輸出しようとしたら、ライセンス契約を結んでいるフランスのホチキス社からクレームが来た。
機関銃の有効性を熟知した日本軍は師団機関砲隊(明治40年あたりまで日本では機関銃を機関砲と呼んでいた)を編成したが、日露戦争が終わったために復員が始まり教育が行われないまま解体された。
第一次大戦後、戦闘は中隊規模から小隊規模へと代わりつつあり中隊支援の機関銃から小隊支援の軽機関銃の必要性から、11年式軽機関銃が開発され配備された。
昭和6年(1931年)の満州事変までに11年式軽機関銃は約5000丁が生産・配備されていた。
これは メッセージ 16426 (unhoo さん)への返信です.
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