ミャンマー(ビルマ)での日本軍は、、2
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/06/01 06:51 投稿番号: [16287 / 29399]
1941年12月26日ビルマ独立義勇軍(BurumaIndependenceArmy)を結成した。勢力はシャン族やビルマ族を含めて1500人程度だった。
アウンサン将軍(ボ、テーザ)率いるビルマ独立義勇軍本隊は日本軍とともに作戦行動を展開、1942年初頭にはビルマ国内へ侵攻した。日本はモーラミャイン(ビルマ南部の都市)に入れば、ビルマ独立を宣言させると言う約束を反古にしたばかりか、ファシズムによる支配を実施し始めた。
1942年3月BIAはラングーンを占領し、その後インド国境までイギリス軍を追って掃討を行った。その結果イギリス植民地軍はビルマから完全に撤退したのである。
BIA指導者はタニンダリーを制圧した段階でビルマ独立を明確に宣言させるよう日本軍指導者に要求した、しかし、日本側はラングーンを占領すれば独立を宣言させるとしか答えなかった。ラングーンを占領すると、今度は上ビルマ(ビルマ北半分)を占領してからと、、言を左右にした。こうして、ビルマ人は徐徐に日本の策略に気づいていったのである。
ビルマに独立を与えたくなかった日本は、ビルマ全土を制圧し終えた1942年7月に2万3千人近くの勢力になっていたBIA(ビルマ独立義勇軍)を解散させ、兵力3千人規模に過ぎないBDA(ビルマ防衛軍)に改編した。
このBDA時代に国防省やミンガラドン士官学校などが創設された。
1943年8月 日本はビルマに形ばかりの独立を与えた。
独立後バモオ博士が最高指導者の地位についた。
3. 反日、反ファシスト闘争(1942〜1945年)
状況、情勢
「独立」したとはいえ、ビルマ政府には本来あるべき権限はなかった。ファシスト日本が許容した権限があっただけである。
日本時代にもっとも強大な権力を見せつけたのは日本軍のキンペイタイ(憲兵隊)である。憲兵隊が管轄し、処理する事柄については階級の上下を問わず、いかなる日本軍将校も口出し出来なかった。一般の国民は憲兵隊の思うがままに逮捕され、拷問され、さらには虐殺されたのである。
こうした、ファシストの弾圧の結果無法者から学歴に関係なく上下層階級の区別無く、反乱への怒りの炎をたぎらせた。真の独立を望む声は全土に広がった。
ビルマ軍は30人志士に始まり、ビルマ独立義勇軍(BIA)ビルマ防衛軍(BDA)を経て、ビルマ国軍(BNA)へと変遷をとげていた。この間、
国内においてはミンガラドン士官学校、国外では海南島、台湾そして日本の仕官学校での訓練を積み、日本軍とともにイギリス軍と戦って実践のよき経験を重ねてきた。ファシスト日本に対して反乱をおこすためにビルマ軍は、精神面でも戦闘技術についても向上してきていた。
また、タキン、テイペイ・タキン、ティンシュエら一部の指導者は日本軍の侵攻直後からインドへ渡り、連合軍司令部と接触を保っていた。
1944年8月にはファシスト日本打倒連盟(AFO=AntiFascistOrganization)が結成され、ビルマ国軍、共産党、人民革命党がこれに加わった。その後 ライカ民族連盟、カレン中央本部、東アジア青年連盟なども加わってきた。
後に、この組織は反ファシスト人民自由連盟(AFPFL=Anti_FascistPeoplesFreedomLeague)と名称を変更した。
1944年連合軍指導部と合意に達し、1944年末から45年初めには武器援助を得るようになった。
アウンサン将軍(ボ、テーザ)率いるビルマ独立義勇軍本隊は日本軍とともに作戦行動を展開、1942年初頭にはビルマ国内へ侵攻した。日本はモーラミャイン(ビルマ南部の都市)に入れば、ビルマ独立を宣言させると言う約束を反古にしたばかりか、ファシズムによる支配を実施し始めた。
1942年3月BIAはラングーンを占領し、その後インド国境までイギリス軍を追って掃討を行った。その結果イギリス植民地軍はビルマから完全に撤退したのである。
BIA指導者はタニンダリーを制圧した段階でビルマ独立を明確に宣言させるよう日本軍指導者に要求した、しかし、日本側はラングーンを占領すれば独立を宣言させるとしか答えなかった。ラングーンを占領すると、今度は上ビルマ(ビルマ北半分)を占領してからと、、言を左右にした。こうして、ビルマ人は徐徐に日本の策略に気づいていったのである。
ビルマに独立を与えたくなかった日本は、ビルマ全土を制圧し終えた1942年7月に2万3千人近くの勢力になっていたBIA(ビルマ独立義勇軍)を解散させ、兵力3千人規模に過ぎないBDA(ビルマ防衛軍)に改編した。
このBDA時代に国防省やミンガラドン士官学校などが創設された。
1943年8月 日本はビルマに形ばかりの独立を与えた。
独立後バモオ博士が最高指導者の地位についた。
3. 反日、反ファシスト闘争(1942〜1945年)
状況、情勢
「独立」したとはいえ、ビルマ政府には本来あるべき権限はなかった。ファシスト日本が許容した権限があっただけである。
日本時代にもっとも強大な権力を見せつけたのは日本軍のキンペイタイ(憲兵隊)である。憲兵隊が管轄し、処理する事柄については階級の上下を問わず、いかなる日本軍将校も口出し出来なかった。一般の国民は憲兵隊の思うがままに逮捕され、拷問され、さらには虐殺されたのである。
こうした、ファシストの弾圧の結果無法者から学歴に関係なく上下層階級の区別無く、反乱への怒りの炎をたぎらせた。真の独立を望む声は全土に広がった。
ビルマ軍は30人志士に始まり、ビルマ独立義勇軍(BIA)ビルマ防衛軍(BDA)を経て、ビルマ国軍(BNA)へと変遷をとげていた。この間、
国内においてはミンガラドン士官学校、国外では海南島、台湾そして日本の仕官学校での訓練を積み、日本軍とともにイギリス軍と戦って実践のよき経験を重ねてきた。ファシスト日本に対して反乱をおこすためにビルマ軍は、精神面でも戦闘技術についても向上してきていた。
また、タキン、テイペイ・タキン、ティンシュエら一部の指導者は日本軍の侵攻直後からインドへ渡り、連合軍司令部と接触を保っていた。
1944年8月にはファシスト日本打倒連盟(AFO=AntiFascistOrganization)が結成され、ビルマ国軍、共産党、人民革命党がこれに加わった。その後 ライカ民族連盟、カレン中央本部、東アジア青年連盟なども加わってきた。
後に、この組織は反ファシスト人民自由連盟(AFPFL=Anti_FascistPeoplesFreedomLeague)と名称を変更した。
1944年連合軍指導部と合意に達し、1944年末から45年初めには武器援助を得るようになった。
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