南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 「南京攻防戦」と「上海決戦」は別

投稿者: picsaintloup 投稿日時: 2007/05/30 17:38 投稿番号: [16249 / 29399]
>(wikipedia参照):
日本軍は、南京への進撃中から諸種の残虐行為を行ったと言われている。その為、南京周辺の町村において、被害の報告が挙げられている。また、1937年12月13日の南京陥落の翌日から約6週間にわたって行われた南京城の城内・城外の掃討でも、大規模な残虐行為が行われたと言われている(城内は主に第16師団(師団長:中島今朝吾)が掃討を行った)。


まず一言。この「wikipedia」とやらには誰でも書き込めるので、不確かな情報や間違いも多いですから、裏を取らず頭から信じるのは危険です。まあそんなことは先刻ご存知のこととは思いますが。
それはともかく、「南京攻防戦」後の南京城外には、一部難民が集まっていたところはあったようですが、1〜2万人くらいしかいませんでしたよ。
もっとも南京城外を際限なく拡大解釈して、極端な話上海〜南京間くらいまでとするなら、その中には長江デルタ15都市が包含されますから、相当な人数いたでしょうが、もちろんそれは常識的に考えて、もはや南京とはいえませんよね。

要するに上海にいた「マンチェスター・ガーディアン紙」のハロルド・ティンパーリー記者が書いた「What   War   Means(戦争とはなにか)?」(1938年刊行)で、「長江デルタで30万人以上虐殺」としているのは、南京だけの話ではなく上海、杭州、揚州、泰州、南通、鎮江、常州、無錫、蘇州、嘉興、湖州、紹興、寧波、舟山、南京全体を通しての話ですからね。また「虐殺」といえば、えてして「無辜の民が残虐に殺された」との印象を与えますが、単なる戦闘での戦死者、便衣のゲリラの処刑と、無辜の民の犠牲者との違いを見分けるだけでも大変なところに、誰が誰をどのような目的で殺したかまで分かるものでしょうかね?
さらにいえば「30万人」という数字も、甚だ根拠に欠けるものといわざるを得ません。ハロルド・ティンパーリー記者が「国民党・中央宣伝処」顧問であったということからも、この作品は「国民党」の宣伝文書の色彩が強いものといえるのではないでしょうか。

南京城内については、住民はほとんど外国人の管理する「安全区」に避難していたわけで、「安全区国際委員会」の「公式文書」には次のように記されています。
20万人(1937.12.17)
20万人(1937.12.21)
20万人(1937.12.27)

どうやら人口の変動はほとんどなかったようですね。
1937年11月29日に南京から逃亡した「南京警察庁」長官王固盤も、逃亡前日の11月28日の日記に「南京には市民20万人」と書いていますし、後に「安全区」の「国際委員会」書記長のルイス・スマイスも「市の陥落当時、南京の人口は、20〜25万人」と証言していますね。(少し大目になっているのは、城外人口を推定して加算しているためだともいわれています)

「南京攻防戦」の前と後とで、南京市民の大きな「人口変動」がなかったということが、大規模な市民虐殺がなかったことを何よりも雄弁に語っていることにはならないでしょうか。

>普通、南京城内大虐殺などとは言わんじゃろ。

「南京城外大虐殺」とも言っていませんね。

*私の印象ですと、あなたは以前のHNの時から一貫して、「南京事件」(笠原十九司著)に影響され過ぎている(あなたは嫌がるでしょうが、あえて「洗脳」されているといっておきましょう)ような気がしてなりません。
笠原十九司を疑ってかかることさえ出来るようになれば、霧が晴れていくように真実に近付けるような気がしますよ。
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