戦後補償闘い続ける エリートの座捨て
投稿者: news_provider_new 投稿日時: 2007/04/06 14:38 投稿番号: [15067 / 29399]
【社会】
戦後補償闘い続ける 中国人弁護士エリートの座捨て
2007年4月5日 夕刊
「歴史の真相は、どんなに野蛮な判決でも消せません」
第二次大戦中、極寒の新潟港で過酷な労働を強いられた中国人が、国と企業を相手に起こした強制連行新潟訴訟。二審判決後の記者会見には、いつものようにこの人の姿があった。
中国人女性弁護士の康健(こう・けん)さん(53)。札幌、山形、福岡など全国で係争中の計十四件の強制連行、従軍慰安婦訴訟を担当する。新潟訴訟の一審は国と企業に賠償を命じたが、東京高裁は先月、不法行為に対する損害賠償請求権の二十年の「時効」が過ぎていることなどを理由に原告逆転敗訴を言い渡した。
「強制労働を実際に体験したのだから、戦争が終われば、もっと早く提訴できたはず」。そんな判決を康さんは「野蛮」と切って捨てた。落胆もしたが、今月末には広島強制連行の最高裁判決を控え、新たな気力を奮い立たせる。
かつては北京の弁護士事務所のトップとして、七十人の部下を抱えるエリート弁護士だった。その座を捨てて、戦後補償裁判に身をささげたきっかけは、十二年前に開かれた国連女性会議(北京)だった。席上、日本人弁護士から「従軍慰安婦の調査を手伝ってくれませんか」と声をかけられた。
それまで従軍慰安婦や強制連行の事実を詳しくは知らなかった。山西省の山奥の村で、生まれて初めて老女から慰安婦の被害体験を聞いた。戦後も「敵に体を提供した売春婦」と非難され、差別され続けた。「こんな残酷な被害があったのか」と驚がくした。一九九六年に初来日、元慰安婦の原告と一緒に法廷に立った。
帰国して強制連行被害の調査も始めた。生きて帰国した人に会うたびに衝撃を受けた。「老人たちは胸が張り裂けそうな大声を上げて泣いた。いくら上手な俳優だってあんな演技はできない」。交通不便な農村部で調査にのめり込むうちに、都会育ちの部下たちは次々と事務所を辞めた。「今は税金と経費を払ったら終わり。破産すれすれ」と康さんは笑う。
五十年前の住所しか分からなかった老人を捜しあてたこともあった。福岡県の三井鉱山に連行された張宝恒さん。厳寒の中、村を訪ねると、張さんは崩れ落ちそうな家で「ずっと苦しかった。まだ企業はあるのか」と、ぼろぼろの紙を取り出した。忌まわしい強制連行の記憶がびっしりと書き込まれていた。張さんは福岡訴訟で「六十年以上前の虐待の夢にうなされる」と訴えながら、二年前に亡くなった。
戦後補償裁判は、九五年に中国の当時の銭其〓外相が「日中共同声明で放棄したのは国家の賠償請求」と発言したのがきっかけとなり、日本各地で起こされた。二百人を超える原告の三分の一はすでに他界している。
原告に残された時間はあまりない。康さんは昨秋、原告約七十人を初めて来日させ、行政に救済を訴えた。悲惨な戦争体験を持つ原告の心の支えにもなっている。
「戦争責任から逃れることは決してできない。戦後補償問題を解決することが、日本が経済だけでなく、政治的に巨人になれる機会。日本の将来を決める試金石です」
(出田阿生)
※〓は王へんに深の右側
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007040502006292.html
戦後補償闘い続ける 中国人弁護士エリートの座捨て
2007年4月5日 夕刊
「歴史の真相は、どんなに野蛮な判決でも消せません」
第二次大戦中、極寒の新潟港で過酷な労働を強いられた中国人が、国と企業を相手に起こした強制連行新潟訴訟。二審判決後の記者会見には、いつものようにこの人の姿があった。
中国人女性弁護士の康健(こう・けん)さん(53)。札幌、山形、福岡など全国で係争中の計十四件の強制連行、従軍慰安婦訴訟を担当する。新潟訴訟の一審は国と企業に賠償を命じたが、東京高裁は先月、不法行為に対する損害賠償請求権の二十年の「時効」が過ぎていることなどを理由に原告逆転敗訴を言い渡した。
「強制労働を実際に体験したのだから、戦争が終われば、もっと早く提訴できたはず」。そんな判決を康さんは「野蛮」と切って捨てた。落胆もしたが、今月末には広島強制連行の最高裁判決を控え、新たな気力を奮い立たせる。
かつては北京の弁護士事務所のトップとして、七十人の部下を抱えるエリート弁護士だった。その座を捨てて、戦後補償裁判に身をささげたきっかけは、十二年前に開かれた国連女性会議(北京)だった。席上、日本人弁護士から「従軍慰安婦の調査を手伝ってくれませんか」と声をかけられた。
それまで従軍慰安婦や強制連行の事実を詳しくは知らなかった。山西省の山奥の村で、生まれて初めて老女から慰安婦の被害体験を聞いた。戦後も「敵に体を提供した売春婦」と非難され、差別され続けた。「こんな残酷な被害があったのか」と驚がくした。一九九六年に初来日、元慰安婦の原告と一緒に法廷に立った。
帰国して強制連行被害の調査も始めた。生きて帰国した人に会うたびに衝撃を受けた。「老人たちは胸が張り裂けそうな大声を上げて泣いた。いくら上手な俳優だってあんな演技はできない」。交通不便な農村部で調査にのめり込むうちに、都会育ちの部下たちは次々と事務所を辞めた。「今は税金と経費を払ったら終わり。破産すれすれ」と康さんは笑う。
五十年前の住所しか分からなかった老人を捜しあてたこともあった。福岡県の三井鉱山に連行された張宝恒さん。厳寒の中、村を訪ねると、張さんは崩れ落ちそうな家で「ずっと苦しかった。まだ企業はあるのか」と、ぼろぼろの紙を取り出した。忌まわしい強制連行の記憶がびっしりと書き込まれていた。張さんは福岡訴訟で「六十年以上前の虐待の夢にうなされる」と訴えながら、二年前に亡くなった。
戦後補償裁判は、九五年に中国の当時の銭其〓外相が「日中共同声明で放棄したのは国家の賠償請求」と発言したのがきっかけとなり、日本各地で起こされた。二百人を超える原告の三分の一はすでに他界している。
原告に残された時間はあまりない。康さんは昨秋、原告約七十人を初めて来日させ、行政に救済を訴えた。悲惨な戦争体験を持つ原告の心の支えにもなっている。
「戦争責任から逃れることは決してできない。戦後補償問題を解決することが、日本が経済だけでなく、政治的に巨人になれる機会。日本の将来を決める試金石です」
(出田阿生)
※〓は王へんに深の右側
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007040502006292.html
これは メッセージ 15054 (news_provider_now さん)への返信です.