事実派にとって不都合なこと−1
投稿者: inonakanohotaru 投稿日時: 2007/03/30 12:12 投稿番号: [14935 / 29399]
1、「中国の旅」は、言論(取材と報道)の自由が完全に封殺された状態で、中国語が全くできない本多勝一によって書かれた(ことになっている)。
「中国の旅」はその後の”南京論”のいわば聖書となり、ほとんどの”南京論”はその証明に費やされているといっていい。
例えば、ある「中帰兵」の「自分も逃げようとした捕虜を一人切った」との証言があると、
「それっ、30万人は事実だ」という類である。
調べれば調べるほど小さな事実しか見つからない。だから「小さくても悪は悪」にすりかえ、
事柄のもう一つの本質的なテーマである「なぜとんでもなく大きな数字を言い出したか?」を遮蔽する、
といった現象がおこっている。
2、最初に名乗り出て訴訟まで起こした、「強制連行」された「従軍慰安婦」の金学順は身内に売られた女性であった。
法廷で明らかになった事実であり動かしようがない。
議論は多様に派生しているが、紆余曲折して出だしの戻ると事実派にとって不都合であることは覆いようがない。
だから、例えば「誤報」した朝日新聞は「従軍慰安婦強制連行」の八つの漢字のうち一つでも疑念をさしはさむと、
「慰安婦の存在を否定するのか」「売春を肯定するのか」と問題をすりかえる。
なぜ中国語の出来ない本多勝一がひとりで(本人が、日本人は自分ひとりだったと書いている)取材できたのか?
身内に売られた女性である金額順が、なぜ「従軍慰安婦・強制連行」の”代表”として通用したのか?
このふたつをきちんと整理し、位置づけておかなければ、ほとんどの議論が無意味になる。
大部分の人間はジャーナリストや研究者の提供する情報を基に考察し判断するのであるから。
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