お前は人にもの アホに教授、、やで 1
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/03/25 07:24 投稿番号: [14751 / 29399]
ショウもないバカに少しは答えてやるか、、肝に銘じて
忘れるな、、
>1.「ロシア駐在の佐藤領事が、敗戦2ヶ月も前に日ソ不可侵条約の破棄を告げられて、ロシア滞在中のロシアの待遇を感謝し、感謝状まで渡して、帰国した」(#12180)という証拠・資料を示しなさい。
昭和20年4月5日(木曜日)小磯首相(10時30分〜10時50分)
辞表奉呈 前日 B29約80機 太田、立川。帝都、横浜等 盲爆。
注、この日。モスクワでソ連外相モトロフから佐藤尚武駐ソ大使に、日ソ中立条約延長せずの通告があった。(大本営機密戦争日誌4月7日の項にある)
「佐藤駐ソ大使より日ソ中立条約破棄通告時におけるモロトフとの問答経過を報告し来たる、モロトフが案外冷厳なる態度を持しある点より観て、既にロシアは帝国を准敵国視する腹なるべし」ここまで、正確に判断しながら、なお、条約有効期間を当てにするとは、日本人は甘かったという他はない。
(甘いと言うよりはアホであったとするべきだ(笑))
(文芸春秋2007年4月号、「小倉侍従日記」昭和天皇の肉声)
>3.「南京における日本軍の食糧援助は200人分」(#12243)と言った根拠・資料を示しなさい。
ラーベの日記の中にちゃんと 日本軍支給書が載っている、、それに対する感謝状も掲載されている、、ちゃんと読んでみろ、、(無理か(笑))
>4.「松井大将が南京虐殺を認めた」(#12244)という嘘を認めて謝罪しなさい。
知らないアホがまだ、日本に存在することが笑っちゃうよ。
松井石根の口述書
松井石根は1947年11月24日極東軍事裁判で自身により証言台に立った。以下はその口述である。
予の南京占領に関する周到なる配慮に係わらず、占領当時の倥惚たる状勢に於ける一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行いたる者ありたるならむ。これ予の甚だ遺憾とするところなり。
予は南京陥落後、昭和13年2月まで上海に在任せるが、其間、昭和12年12月下旬、南京に於いて只若干の不法事件ありたりとの噂を関知したるのみにて、何等斯かる事実に就き公的報告を受けたることなく、当法廷に於いて検事側の主張するが如き大規模なり虐殺・暴行事件に関しては、1945年終戦後、東京に於ける米軍の放送により初めて之を聞知したるものなることを茲に確信す。
松井は処刑を前にした1948年12月9日、花山老師に南京事件について最後の述懐をなした。
南京事件はお恥ずかしい限りです。…私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときはシナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまったと。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。
従って、私だけでもこういう結果になることは当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味でたいへんに嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。
松井は南京における非行と捕虜虐殺(不法行為)は明確に軍人(参謀を中心とする将校)に責任があると認識していた。兵のせいにしているのはエリート参謀将校たちである。
>1.「ロシア駐在の佐藤領事が、敗戦2ヶ月も前に日ソ不可侵条約の破棄を告げられて、ロシア滞在中のロシアの待遇を感謝し、感謝状まで渡して、帰国した」(#12180)という証拠・資料を示しなさい。
昭和20年4月5日(木曜日)小磯首相(10時30分〜10時50分)
辞表奉呈 前日 B29約80機 太田、立川。帝都、横浜等 盲爆。
注、この日。モスクワでソ連外相モトロフから佐藤尚武駐ソ大使に、日ソ中立条約延長せずの通告があった。(大本営機密戦争日誌4月7日の項にある)
「佐藤駐ソ大使より日ソ中立条約破棄通告時におけるモロトフとの問答経過を報告し来たる、モロトフが案外冷厳なる態度を持しある点より観て、既にロシアは帝国を准敵国視する腹なるべし」ここまで、正確に判断しながら、なお、条約有効期間を当てにするとは、日本人は甘かったという他はない。
(甘いと言うよりはアホであったとするべきだ(笑))
(文芸春秋2007年4月号、「小倉侍従日記」昭和天皇の肉声)
>3.「南京における日本軍の食糧援助は200人分」(#12243)と言った根拠・資料を示しなさい。
ラーベの日記の中にちゃんと 日本軍支給書が載っている、、それに対する感謝状も掲載されている、、ちゃんと読んでみろ、、(無理か(笑))
>4.「松井大将が南京虐殺を認めた」(#12244)という嘘を認めて謝罪しなさい。
知らないアホがまだ、日本に存在することが笑っちゃうよ。
松井石根の口述書
松井石根は1947年11月24日極東軍事裁判で自身により証言台に立った。以下はその口述である。
予の南京占領に関する周到なる配慮に係わらず、占領当時の倥惚たる状勢に於ける一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行いたる者ありたるならむ。これ予の甚だ遺憾とするところなり。
予は南京陥落後、昭和13年2月まで上海に在任せるが、其間、昭和12年12月下旬、南京に於いて只若干の不法事件ありたりとの噂を関知したるのみにて、何等斯かる事実に就き公的報告を受けたることなく、当法廷に於いて検事側の主張するが如き大規模なり虐殺・暴行事件に関しては、1945年終戦後、東京に於ける米軍の放送により初めて之を聞知したるものなることを茲に確信す。
松井は処刑を前にした1948年12月9日、花山老師に南京事件について最後の述懐をなした。
南京事件はお恥ずかしい限りです。…私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときはシナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまったと。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。
従って、私だけでもこういう結果になることは当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味でたいへんに嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。
松井は南京における非行と捕虜虐殺(不法行為)は明確に軍人(参謀を中心とする将校)に責任があると認識していた。兵のせいにしているのはエリート参謀将校たちである。
これは メッセージ 14734 (sinnjitu_itiro さん)への返信です.